六鹿宿

介護保険発足直後から介護の世界で働いている僕が見たり聞いたり感じたことを綴っています。

福祉の世界から、人材が居なくなるという笑えない事実。

おそらく2010年ごろまでは、さほどその現実を重くは受け止めていなかった様に思う。
特に2000年の介護保険スタートからの10年は、多くの人材が介護業界に流入した。
厚労省の統計でも、2000年当時、約55万人程度であった介護労働者が2010年には133万人と倍以上の伸びを示している。
確かに、僕の入職当時は多くの若い仲間たちが熱い気持ちをもって介護業界に飛び込んでくる姿を見ることが多かったように思う。
介護福祉士を要請する専門学校にも沢山の学生の学ぶ姿があったし、ヘルパー2級を取得する養成校にも介護業界への転職を目指す人々が技術習得に汗を流す姿があった。
何を隠そう僕も転職組の一人であり、養成校に通いながらヘルパー2級を取得した。
そう15年前は、介護業界は若者が魅力を感じ、夢をもって飛び込むことの出来る世界だったのだ。

しかし、いつの間にかそんな状況は激変する。
介護業界の離職率は全産業のそれと比較しても高いと言われている。約20%を超えるという統計もある。離職率20%ということは年間で5人に1人が離職するということ。
100
人規模の事業所であれば、年間で20人が職場から姿を消していくのだ。

2010年頃までは、そんな状況でも新しい人材を募集すれば応募がそれなりにあり何とか現場に人材を補充する事が可能だった。しかし今は
募集しても人が集まらない。それなのに離職者は減らない。
そんな状況が、介護業界を包み込み、それぞれの事業所でマンパワー不足が生じ、人材争奪戦も勃発している。
なぜ、こんな事態に陥ったのか?
「3K」と呼ばれる介護業界。きつい、きたない、給料安い。だから現場に人が寄り付かない。しかしそんなことは2000年当時も同じであったし、そのイメージが増幅されたことは問題の一因でしかない。介護の現場は「3K」であっても、やりがいを感じられる現場であることは間違いないからだ。
介護保険の度重なる介護報酬の削減も、介護保険制度の改正も各事業所に大きなダメージを与えたことは事実だが、それだけでもこの問題は説明できない。たしかに報酬が減らされ介護労働者の賃金が上がり難い現実はあるが、そんなことは他の産業でも同様だ。介護保険制度が事業所をがんじがらめにして、本当にお年寄りに寄り添ったケア提供をし難い現状もある。でも、それだって工夫次第で成果を上げてきた事業所は多数ある。
問題は、多くの法人が介護保険の波にのって、スケールメリットを追求し介護労働者への投資よりも事業所を拡大し、増やしていったことが大きいのではないかと僕は思っている。
母体となる100名規模の特養等で育った優秀な人材を、新しく建てた他の事業所に異動させる。そしてそれを繰り返し、事業所は拡大していったが母体には人材が居なくなり、母体は新たな人材を育てる能力を失う。そうすると母体は魅力を失い、人が寄り付かなくなる。母体に魅力がなくなるということは、その法人自体の魅力やブランド力が凋落することを意味する。
つまり、とにかく介護保険の波に乗って拡大し続けた介護業界は箱(建物、特にデイやグループホームの増加は甚だしく、まるでコンビニ並み。)は沢山出来たけれど、中身がスッカラカンになっちゃって、だからって縮小路線に進むこともできず、この先の老人人口爆発を考えると、まだまだ拡大の道を辿る必要があり…でも魅力を失った介護の現場を志す人材は減る一方。
何だか負のスパイラルから抜け出せないのが今日的な状況。


この負のスパイラルから脱却するためには…
介護保険を見直す必要や、2025年問題を真正面に受け止める世論の喚起が必要であることは言うまでもないが、先ずはそれぞれの法人が「人」に対して、もっと能動的にダイナミックに投資していく必要があるのだと思う。


「人」に対する投資とは何か?それについては、また別の機会に述べることにしたい。

「箱」に過剰投資する姿勢を見直し、「人」に対する投資を大切にする。

それ以外に、この先の老人人口、ビックバンを乗り切る術は無い。そう僕は考えている。

そのことを、多くの法人のトップに立つ人間に伝えたい。

現場の人々の抱えている問題に、トップの人間が先ずはしっかりと目を向ける。それこそが第一歩だろう。「外向きの仕事ばっかしてんじゃねえよ。」とマジで言いたい。


さぁ、現場の人々よ声を挙げよう。あなたは法人に、本当に大切にされていますか?



 

拝啓Dr様。

世の中には色々なお医者様が居る。
幕末の蘭学医、緒方洪庵先生は「医は仁術である」と言われた。
そういう心を持つお医者様が、世に溢れれば本当に良いなと思う。


僕の施設では、数年前から近隣のN診療所から内科のDrを招き、週一回往診をしていただいている。
それまでは現役を引退された、学者肌のDrを直接雇用という形で医務的な管理をお任せしていた。


外部の診療所からの往診、多くの外来患者を診ながら、僕の施設に往診に来て下さる。
ありがたいことだ。


しかし、なかなかこのDr。おもしろい方で、けっこうポンポンとお気に入りのお薬を処方して下さる。
まぁ、別に良いのだけれど、特に精神薬等については、もう少し慎重に処方して下さると、余計に良いのにな…。
新規入所の、徘徊で止まれないお婆さん。おトイレも分単位で通われる。
で、誰か介護職が往診の際に言ったんでしょうな「たいへんです~」って。
で、心を落ち着かせる精神薬を処方。
なんだか飲み始めてから、今度は夜に眠れなくなって、じゃあって更に睡眠導入剤を処方。

そうこうする間に、このお婆さん。活気が無くなり、笑うことも話すことも無くなった。


ご家族も心配され、こちらからの意見具申で、薬は中止。

そこから、しばらく経過するが未だに、かつてのような笑顔は見られない。

いや、別に、Drを攻めてるわけでは無く、うまく情報提供できなかった看護師や介護職にも責任はあると思う訳で。


でも、こういうの難しいなぁと思う。
活発過ぎると大変って人はやはり、おられる。けれど薬で何とかしようとすると副作用で過度な鎮静が訪れる。で、効きすぎてますよってDrに意見具申。


とりあえず、処方するは良いけど、意見具申すると「お前らが大変やし出したんや!」って怒るんはやめて欲しかったな。そういうの、やり難いし。

まぁお医者様不足のこのご時世。これからも末永くお付き合い願います♪

道徳の授業。

今日は僕の息子の参観日。
休みをとったので、今から小学校へと向かう。
一時間目は「道徳」の授業だそうな。

今の小学校では、どんなことを「道徳」で学ぶのだろう?
自分が小学校だった頃の道徳の時間…。何を学んだのか全く思い出せないが。
唯一、孔子の言葉だったかな?
「己の欲せざるところ、人に施すことなかれ。」という言葉を道徳の授業で聞いたような気がする。
自分がされて嫌なことは人にもしたらあかん。という教え。


あと、もう一つ。
「衣食足りて、礼を知る」
これは、着るものや食べるものが足りていてこそ、人は「礼」を知ることができる。という意味だったと思う。現代風に訳すと「お金が足りてれば、人はモラルを保つことができる」ということだろうか?


これって、前にも「高福祉、高負担」の話で述べたが。
結局、本当の意味での豊かさは、皆がある程度潤って(生きていくためのお金を持って)いることで追求可能なのだろう。その豊かさの中でモラルは醸造され、初めて社会的な弱者に手を差し伸べることができるってことだろうか?北欧の国々がその良い例なのかもしれない。

人は誰でも、自分が可愛い。けれど人との繋がりを無くしては生きてはいけない。
誰かのお蔭で、人は生きることが出来る。
だからこそ、困っている人に対して手を差し伸べるべきだ。
だけど、自分が生きるのに精いっぱいになった時に、人は人に優しく出来なくなり、人を傷つけてまで自分は生き残ろうとしてしまう。モラルの崩壊が起こるのだ。
だからこそ、皆が最低限の「衣食足る」必要があり、そのために社会福祉、セーフティーネットが崩壊しない様な社会を構築していく必要がある。
我々の国の介護保険は…そこを守って行けるだろうか?


それでは、「道徳」の授業を参観してきます♪