六鹿宿

介護保険発足直後から介護の世界で働いている僕が見たり聞いたり感じたことを綴っています。

ADLとQOL

介護職が当たり前に知って、それを考慮して仕事に取り組まなければならない事柄。
ADLの維持とQOLの向上。


ADLとはactivities of daily livingの略。訳すと、日常生活動作。
簡単に言えば生活の中での食事や排泄といった様々な場面で、その人がどの程度自分でそれができるか?ということ。


QOLとはquality of lifeの略。訳せば、生活の質。
端的に言っても、そのままなのだけれど。生活の様々な部分が人としてどれくらい文化的であるか、どれほど人間として尊重されているか?ということ。


お年寄り個人を捉えて、ADLを評価しQOLの向上の手段を検討する所から、介護職の仕事は始まる。


この人は、食事は自分で食べられるのか?トイレは自分で行けるか?お風呂や毎日の洗面、そう言うのは、どのくらい自分で出来て、どれくらい人の助けが必要なのか?
それを把握した上で、生活の質の向上の為にどんな事が必要か、どういう手段を選べるかを考える。


例えば、食事、お箸を使うことは出来ないけれど手掴みなら自分で食べることが出来る。
いつも手も顔もグシャグシャに汚しながら食事をするお年寄り。
そう言う場合、食事の動作を評価して手掴みでは無く柄の太いスプーンや先の曲がったフォーク、そう言った自助具の使用を試みる。あるいはコップを持って飲む動作が可能ならコップに流動食や味噌汁なんかを入れて提供してみる。そうすると獣のような食事風景が一変して、人間的な食事が出来たりする。これは立派なQOLの向上ということになる。


当たり前すぎて、言葉にしておかないと忘れてしまう大切な事。


歩くことも、食べることも、排泄をすることも。できる限り人間らしく自分で、やってもらう。その為の手段を考えることも、本当に大切な僕らの仕事。


介護保険以前、多くの老人病院で社会的入院の名のもとにベッド上で放置され続けたお年寄りが存在したことを僕はいつも思う。身体はガチガチに拘縮し、お尻はオムツで蒸れて爛れ、骨がむき出しになるほどに褥瘡が進行したお年寄り。風呂だって、いつ入ったのか分からないくらいに髪の毛には大量のフケやダニが。
そこにはADLの評価も、むろん生活の質の向上なんて視点も、何も無かった。
ただ、息をして死を待つだけの存在がそこにはあったのだ。


そういう時代が確かに日本にあったことを、僕らは忘れてはならない。



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