六鹿宿

介護保険発足直後から介護の世界で働いている僕が見たり聞いたり感じたことを綴っています。

「適当介護」再び。

よく介護の世界で「QOLの向上」という言葉を耳にする。
QOLとは「クオリティー オブ ライフ」のことで日本語では「生活の質」と訳される。
つまりお年寄りの生活の質を向上させることが介護の至上命題なわけだ。
しっかりしたケアプランには、その為のニーズや設定目標、その方法が明記されている。
残念ながら、しっかりとしたケアプランと言うものには、なかなかお目にかかれないが…。


さておき、この至上命題に向けて介護に携わる人間は努力をするわけである。


しかし、肝心のお年寄りの必要とされているところ=ニーズ、これを捉えることが難しかったりする。
それは言葉が出せない方であったり、認知症の為に本当の思いを伝えられなかったりするお年寄りが多いためでもある。
また、思いを伝えることのできるお年寄であっても、客観的に見て叶えることの難しいニーズであったり語弊を恐れずに言ってしまえば「我儘」の領域に入るニーズであったりもする。


そんな訳で、介護をしていて本当にそのケアが、その方にとって必要なのかどうか?
しっかり検証する必要が出てくる。


例えば、QOL向上の代表格「オムツ外し」
オムツをやめてトイレで排泄してもらおうという試み。どう考えても、オムツ内に失禁するよりは、トイレで排泄して頂いた方が快適だ。そりゃあ生活の質が上がりますわな。だから一生懸命、その方の排泄リズムを掴んで、時間ごとにトイレへお連れする。
でもね、排泄のリズムなんて毎日同じわけでは無いんですよ。その日摂った水分の内容、体調、気候や季節、いろんな要因で変化するわけです。だから一生懸命トイレにお連れしても失敗される時がある。
その時のお年寄りの自尊心への影響ったら…床もビチャビチャだし衣類もズクタンボ、着替えも掃除も、まぁ大変。
だから適切にオムツを使って失敗は未然に防ぐ、そしてお互いに負担にならない程度でトイレにお連れして気持ちよく排泄して頂くってのが、本当の意味での生活の質の向上に繋がると思う訳です。


他にもこんな例があります。自分のできることなのに、なんでもやってもらおうとするお年寄り。
「服着せて」「靴履かせて」「起こして」「食べさせて」
全部出来ることなのに自分でやろうとはされない。で、そういったお年寄りの言葉を「ニーズ」だと捉えると生活の質を向上させるためには全部やってあげなければならなくなる。
でもね、そういうこと全部やってしまうと本当にその方が自分では出来なくなってしまうんですよね。
だから時には毅然とした態度で「自分でできることは自分でやって下さいね」と伝えることも必要なんです。こういった、実は生活の質を低下させてしまいかねないお年寄りの要求は「ニーズ」ではありません。客観的必要性があって初めてニーズと呼ぶのです。こういうのは「デマンド=要求」として「ニーズ」とは別であると捉える必要があります。


まぁ、そんなわけで何が言いたいかと申しますと。
つまり、必要性もないのに無駄な労力を費やす場面がけっこう介護の現場あるいは在宅介護の現場で往々にしてあるわけで、その辺の省力化も必要だということです。


僕が考える「適当介護」の重要なファクターが「省力化」です。


毎日の介護を丁寧に質高く続けて行くことは言うまでもないことですが、根を詰め過ぎず、無駄を省くことも考える。そういう視点も介護には必要だと思っているのです。


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