六鹿宿

介護保険発足直後から介護の世界で働いている僕が見たり聞いたり感じたことを綴っています。

「適当介護」とは似て非なるもの。

「適当」という言葉を僕は、「そこに適した」「身の丈に合った」という意味で使っている。
なので「適当介護」の本質は、無理をしない自然な介護を目指すことにある。


しかし2000年の介護保険施行以降、膨張を続けたこの業界の「介護の質」は落ちる一方であり、この「適当介護」を誤解して解釈したような「手抜きの介護」が横行している事実も残念ながらある。


介護職員が、食事介助中にお年寄りの様子も見ずに職員同士で雑談する光景、夜勤帯にフロアでラジコンカーを走らせる馬鹿な職員、5時間以上も交換や誘導に入らない排せつ介助。そういった話を見たり聞いたりする。情けない。


そういったことを平気で行っているような事業所で「適当介護」の話をしようものなら…
「そうそう適当でいいじゃん」「しんどいことせんでええねん」というのが先行し、その本質が見誤られかねない。


「適当介護」には前提がある。
お年寄りが24時間、安心して安全に過ごすことが出来る環境を提供し、その快適性にも気を配る。
そして心の部分にも働きかけ「楽しい」と思ってもらえる時間を少しでも多くつくる。
その為には介護する者が、その介護技術に磨きをかけ人間的にも成長している必要がある。
そういう為の教育システムなどが整備され、確実に職員を伸ばすことのできる事業所でなければならない。


そういうことを抜きにしてしまっては「適当介護」とは似て非なる「手抜きの介護」が横行することになる。当たり前のことが当然にできた上での「適当介護」なのである。

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