六鹿宿

介護保険発足直後から介護の世界で働いている僕が見たり聞いたり感じたことを綴っています。

ニーズとデマンド

介護の仕事は、「お年寄りへの奉仕」の一点張りでは進めることが難しい。
お年寄りの訴える様々な事柄に対して、その欲求の全てに応えることは現実的に不可能だからだ。


例えば、5分おきに「トイレに連れて!」と、あるお婆さんが仰り続ける。
お婆さんは、介助で立つことは出来ても歩くことが出来ない。神経因性膀胱炎なのか、本当に5分しか溜めることが出来ないくらいに膀胱が小さかったり硬かったりするのか、それは良く分からない。
それで、真面目に5分毎にトイレへお連れするとする…
だいたい1人で10人ぐらいのお年寄りのお世話をしている状況で、それを続ければそのお婆さん以外のお年寄りには何も対応できないことになってしまう。


例えば、ご飯を召し上がったばかりのお爺さんが「飯はまだか!」と怒鳴る。
お爺さんの口元にはちゃんと証拠になるご飯粒が…。けれどお爺さんは怒鳴り続ける。
「さっきご飯を食べたばかりですよ。」は通用しない。食べたこと自体忘れているのだから。さらに満腹中枢にも障害があるため、胃の中に沢山の食物が詰め込まれていたとしても、それを感じることさえ出来ない。
欲求に従って、食べ物を提供したところで、食べ終えて10分もすれば「飯はまだか!」が再び始まり、いずれお爺さんは病院送りになってしまう。


さて、この様々な欲求に対してどう対処するべきか?


そこで考えるのが欲求を「ニーズ」と「デマンド」に分けて考えることだ。
基本的にはお年寄りの欲求に、もちろん応じるべきだ。歯が無いのに「焼き肉が食べたい」と言われれば、口の中でとろけるくらいに軟らかなお肉を調達し目の前で焼いて香りを楽しんでもらいながら更にそれを細かく刻んで提供する。
実際に自分の足では歩けないけれど「温泉に入りたい」と言われれば、バリアフリーな檜風呂のある施設まで出向いて行き入浴剤なんかを投入して、温泉気分を味わって頂く。風呂上がりにはお好きなビールなんかも用意して。
そう、こう言ったお年寄りの欲求は「ニーズ」なのだ。
一方で冒頭に述べているようなお年寄りの欲求は「デマンド」としてとらえる。


客観的に見て、それはその人にとって必要か?その人の生活を豊かにできるか?というのが「ニーズ」と「デマンド」を分ける判断基準。


お年寄りの人格は、これまでの豊かな生活歴の中で形成されてきたものであり、それはそれで尊重されて然るべきだ。けれど、認知症や精神障害など様々な疾病によって本来的には顕在化されない欲求、遠慮の無い、簡単に言うと「我儘」「自儘」な欲求が噴出する。
それに対しては、正直に応えるべきでは無いと僕は思っている。


もちろん、「デマンド」を無視してスルーすることを推奨する訳では無い。なんとか納得できる方向性を見つける努力はするべきだ。


例えば、トイレのお婆ちゃんには「今はおトイレ、他の人が使ってはります。終わったらお連れしますね。」と言って、飴玉を渡してみる。
例えば、「飯まだか!」のお爺ちゃんには「すいません。お食事が遅くなってしまって。準備が出来るまで、これでも見ててくださいね。」と胸の大きな女優さんなんかの写真集を渡してみる。
以外にこれ、効いたりする。トイレも飯も、すぐに忘れて下さるのだから。


説得より納得。ってか、とりあえず欲求は受け入れて、気持ちを他にそらす。場面を転換する。そういう、かわし方を沢山知っていると「デマンド」に対処し易くなったりする。


さぁ、今日もどんな欲求が待っているのだろう。ちょっとそういうの楽しみながら仕事を続けている今日この頃♪

























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