六鹿宿

介護保険発足直後から介護の世界で働いている僕が見たり聞いたり感じたことを綴っています。

F

昔から漫画が好きだった。自分で描いていた時期もあるぐらいに大好きだ。
一番好きな漫画家は誰かと問われれば僕は迷わず藤子・F・不二雄先生だと答える。


ドラえもんは誰もが知っているし、世界中の子供たちに今なお素敵な夢を与え続けている。僕の子供の頃は先生の漫画やアニメの全盛期だった。本当に有難いことに。


パーマンにおばけのQ太郎、キテレツ大百科にエスパー魔美。ジャングル黒べえも大好きだった。みんなみんな、僕の幼少期にいつも寄り添ってくれていた。


藤子不二雄は、もともと二人で一人の漫画家。相方が実はF先生には存在した。
それが藤子不二雄A先生。この方の代表作は忍者ハットリ君や笑うセールスマン。
おばけのQ太郎はお二人の共著だったな、そう言えば。


僕が小学校の高学年の頃まで、二人は藤子不二雄と言う同じ名前で漫画を描いておられた。同じ漫画を一緒に描いたり、それぞれが別々に描いたり。画風が異なる二人だけれど、一緒に夢のある漫画を描き続けた。


それが二つに分かれた。決して二人の仲が悪くなったわけでは無い。お二人が齢を重ね老いて行き、いざ遺産相続という問題、つまりそれぞれの家族に責任を果たさなければならないと考えて行く過程で、著作権等々の分配の問題が浮上。ついに藤子不二雄と言う単一の人格であるはずの漫画家は「F」と「A」と言う二つの人格に決別せざるを得なくなったのだ。当時、そんなことを全く知らない僕を含む多くの少年少女たちは、二人の離別に少なからず悲しみを覚えたものだ…


つらいことだが遺産相続という不条理は子供たちの夢の中には存在せず、大人が蠢く現実世界に存在するものなのだ。お二人も例外なくその不条理の海の中で生きておられた。
ドラえもんと言う驚異的な人気を誇る漫画の存在は、それをF先生が描いていた以上、その遺産を受け継ぐのは彼の子孫でしか有り得ない。そんな当たり前のことを遂行する上で同じ名前、二人で一人の漫画家という人格では都合の悪いことが沢山あったのだと思う。


最近、TVドラマで「スーパーサラリーマン左江内氏」という番組を放映している。
この原作者は何を隠そう、藤子・F・不二雄先生である。
実際に先生が同名の漫画を描き、連載され単行本化もされている。


正直に言うと原作から見れば、このドラマは稚拙だ。稚拙だけれどそのエッセンスは、まとっている。
だから、毎回見ては笑って。ついには泣いてしまう。


暖かみがあるのだ。F先生の描いた漫画の暖かみを、人間に対する愛情を僕は感じずには居られない。


この物語の、大きな要素となる「忘却」
忘れることが出来るからこそ、どんな苦しみや悲しみも乗り越えることができるという人が人として生きる上での見まごうこと無き真実。年老いた果ての認知症も人の人たる所以を破壊的に解き明かしてくれる…。


そういう忘却の必然性も、滑稽なほどに愚鈍なほどに活写されており何だか笑いながらも、結局、泣けてしまう。


あぁ、次が楽しみだ。原作ももう一度、読み返そう。











×

非ログインユーザーとして返信する

あと 2000文字

※は必須項目です。