六鹿宿

介護保険発足直後から介護の世界で働いている僕が見たり聞いたり感じたことを綴っています。

多面的存在

酒が好きだ。


春は桜を愛でて酔い、夏は陽に身を焦がして呑む。
秋は月を仰いで呑み、冬は雪を溶かして酔う。


年がら年中、酒を飲む。


飲んで記憶を失うことも、しばしば…。


最近、職場の後輩と飲む機会を持った。
仕事の事やプライベートの事で相談があったようで珍しく向こうから誘ってきた。


楽しい時間だったという記憶はあるが、話した内容の多くを僕は未だに思い出せない。


職場でどれほど真面目な話をしようと背中で鮮やかな仕事ぶりを見せようと、これでは先輩として何とも情けない。
だから酒はほどほどにしようと、いつも思うのだが…
結局、今日も飲んでいる。
年がら年中、酒を飲む。


酒を飲んだ時の僕と、そうで無い時の僕はまるで別人で。
二つの人格を僕は行き来する。人が誰しもそうであるように、僕もまた多面的な存在なのだ。


多面性を「善」と「悪」で捉えた場合に、飲んでいる時の僕はたぶん「悪」だ。
人は誰しも、心に「闇」を持つ。
ある意味、酒を飲むことは僕の心の闇の発露なのだと思う。


僕らの仕事は、その「闇」や「悪」からほど遠いところのもので、そのことを過剰に意識し始めると自分を責めてしまうことになりかねない。
例えば介護職は絶対的にお年寄りを敬い、愛し、最大限の奉仕をしなければならないとする。それが「善」で当たり前。逆に心の中でお年寄りの事を嫌いだ、汚いと感じてしまうことは「闇」で「悪」だとする。
けれど、実際に認知症のお年寄りは大声で叫び続けるし、自分の便を平気で触るし、立てばこけて怪我をするのに立ち上がろうとする。
その光景を毎日目の当たりにして、嫌いだとか汚いだとかの感情が湧くことが果たして本当に「闇」なのどろうか?「悪」なのだろうか?
仮に「闇」だったとして「悪」だったとして…別に良いんじゃない?


その感情を持ってしまった若者たちは、当然のように自分に傷つき自分の仕事に誇りを持てなくなってしまう。そうして職場から去ってしまうことだって往々にしてあるのだ。


問題はその感情が湧くことでは無く、そのことで自分を責めてしまうことだと思う。


良いんだよ、あなただけじゃない。
僕の酒による阿保みたいな多面性に比べたら、そんな感情は誰でものものなんだよ。
そのことで、傷つかないで欲しいし、そんな自分こそ実は人間らしいと開き直って欲しい。


僕にだって嫌いなお年寄りは沢山いる。大嫌いな人もいる。
でもそんなの人間だから仕方が無いじゃん、って思ってる。だからあなたも大丈夫。


普段の仕事は、仕事だって割り切って、開き直って。
あとは、どうすれば仕事が楽しくなるかを考えてみよう。
この仕事には、必ず楽しくて幸せな場面も存在する。
それは僕が体験してきたものだ。あなただって少しは経験してきたのかも知れない。
だから絶対にそんな時間は存在する。



そこに少しでも多く行きつくためには、職場の同僚の存在が大きい。
だから助け合って、向き合って、焦らずにやって行こう。
おっさん、頑張るから





























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