六鹿宿

介護保険発足直後から介護の世界で働いている僕が見たり聞いたり感じたことを綴っています。

スマホをその手から放して。日間を感じてみないか?

禅語だったと思うが、定かでは無い。
「暇」のことを「日間」=「日の当たる時間」だと捉える思想がある。


最近の若い人は「暇」を嫌う。
時間があればスマホを弄る。休みの日には必ず、誰かと出かける。立ち止まって、振り返ることを極端に嫌う。


ジェネレーションギャップだと単純に考えれば然程気になる話でも無いのだが。
そういう時間の使い方に、僕なんかは生き急ぐ若者の切迫感すら感じてしまう。


そして「日間」のことを思う訳だ。
「暇」を、「日間」…日の当たる時間、つまり心に日が差し込む穏やかな時だと捉える。
雨や雲の多い、忙しく心乱れる時間。それは例えば悲しみや苦しみを伴う決して心穏やかでは無い時間。忙しくて心失う時間。
そう言う時間に、サッと差し込む日の光、余裕を感じることの出来る、柔らかで暖かな時間。「暇」をそういう風に捉えれば、心休める大切な時間だと捉えることも可能なはずだ。


けれど、まぁ、そう言うことを若者に語れば「おっさんの戯言」で片づけられる。
それはそれで良い。


ただし、言う。人生は確かに短いが、豊かな心を養うために、立ち止まって振り返ることは決して無駄なことでは無い。禅語にも「一日一止」という言葉がある。
日々、必ず立ち止まり振り返る時間を作りなさいという意味だ。


若者の躍動する姿は確かに美しく気高い。けれども老婆心ながら、あえて言う。
立ち止まって、何も無い優しい時を過ごすことも、自己を成長させるうえで大切な事なのだと。


僕は君を見守る。可能な限りの優しい眼差しで、年を経た者の泰然たる振る舞いで。








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