六鹿宿

介護保険発足直後から介護の世界で働いている僕が見たり聞いたり感じたことを綴っています。

1945年 夏

毎年夏、8月のこの時期になると日本人はあの忌まわしい戦争のことを思い出す。
8月6日の広島、8月9日の長崎。そして敗戦へ。
70年も前の出来事なので、もはや歴史の中の出来事のような感はある。


しかし僕が生まれたころから数えると、たかだか30年前の出来事。
自分の祖父母が実際に生きてきた時代の出来事なので、ごく近い過去であると子供心には感じていた。


よく爺ちゃんが言っていた。
「広島の原爆は、本当は京都に落とされる予定やってんで。」と。
しかも幼いころ良く連れて行ってもらっていた京都市にある梅小路機関車庫が投下目標地点だったようで「あの機関車が円く並んでる、円形のレールがあるやろ?そこに落とす予定やったんや。」と教えてくれた。
しかしアメリカの学者さんが京都には歴史的に貴重な文化財が多く存在することを理由に猛反対し、広島が狙われることになった。
長崎にしても、もともと当日の第一目標は北九州の小倉だったと聞く。しかし北九州上空の悪天候の為に次の目標として長崎が狙われることになった。


歴史に「もしも」は禁物だが…。
もしも京都に原爆が投下されていたら、おそらく僕はこの世に存在しなかったし、僕の友人の多くも生まれてくることは無かっただろう。


そんな風に考えると、思いが凄く複雑になる。
原爆だけでは無い、全国各地の空襲による死者、戦地で亡くなった人、モスクワの凍土で凍え死んだ人、特攻機で爆薬を抱えたまま死んだ人、とにかく僕の生まれる30年前に数百万人もの日本人が死んで行った。そしてヨーロッパでも、アメリカでも世界の国々に悲惨な死が溢れていた。


産業革命以後の欧米諸国の植民地政策、侵略行為についても非難されるべきではあるが、日本が行ったアジアでの侵略行為も反省されて然るべきだろう。またアメリカが行った無差別爆撃や原爆の投下は、どう考えても正当化されるものでは無い。色々な議論はあるが、あの悲惨な戦争のことを決して忘れてはならない。


戦争は政治の延長線上にある、あるいは必要悪だと捉える人々も少なく無い。また戦争の無い世の中など理想論でしかないという人々も。そういった人たちは、実際に戦争体験のある人々の声に耳を傾けるべきだろう。戦場での悲惨な体験をした人々は決して戦争を肯定的に捉えたりなどしない。


そして日本人として、敗戦後70年目に改めて思い返さなければならないのは、あの戦争を経験した我々日本人は、その憲法に「戦争の放棄」を謳ったということだろう。
全ての戦力を持たず、永久に戦争を放棄することを誓った、あの夏のことを思い起こすべきだ。


昨日、広島での式典で阿部首相が「核なき世界」に向けて「現実的」な努力を続けると仰った。
現実的とは、核や戦力の保有または武力の行使は一定容認しながらということなのだろう。


つまりこの国の首相も戦争の放棄は理想論だとする考え方の持ち主のようだ。


日本の軍部も、第三帝国のヒトラーも形は違えど、一国の命運をその手に握ることが出来た。
誰も止められない程に権力を掌握した。その権力掌握の過程で、それをストップさせることも実はその国の人々には可能だったのかもしれない。人々の知らぬ間に事は運んでいた。
民衆が正しく、ものを見て判断することを怠ったが為に、いつの間にか、彼らを止めることができなくなっていった。
悲惨な歴史の繰り返しや巻き戻しが起こらない為に、僕らはその歴史から学ぶ必要がある。


戦後70年。今の日本は大丈夫か?
僕らは1945年の夏を決して忘れてはならない。

×

非ログインユーザーとして返信する

あと 2000文字

※は必須項目です。