六鹿宿

介護保険発足直後から介護の世界で働いている僕が見たり聞いたり感じたことを綴っています。

桃源郷

ユートピア、シャングリラ、桃源郷。


夢みたいな、心地が良くて、不快とは無縁の世界へ。


行ってみたいと、誰もが思う。


現実逃避。今いる世界から、逃げて離れる。


けれど現実は、簡単に今居る世界から離れることを許してはくれない。


何故…。


それは、何故か。


双肩にかかる責任か?


人としての矜持か?


自己防衛か?


隣人愛か?


それとも、あきらめか?


結局、明日も明後日も、その先の未来であるこれからも、今居る世界に身を置いて、多くの人々が生き続ける。良識という範疇の中で。


逆に、今居る世界に疑問を持たない生き方が、実は最も幸せなのかもしれない。今に満足して居れば、そこに安住しているだけで幸せなのだから。


今居る世界から、逃げて、新しい世界に身を置く。


桃源郷は、実在するのか?


あるいは、そんな場所は存在しないのか?


行ってみなけりゃ、一歩を踏み出さなければ、それを発見することは決して出来ない。


けれども敢えて言うならば今を受け入れることも、実は必要なのだろう。


今、置かれている場所。


そこで生きて、苦しみを克服し、悲しみに立ち向かい、喜びを見つけること。


難しく考える必要なんて無い。


一生懸命に生きる。ひたむきに、今の自分を受け入れる。


ただ、それだけ。


誰かが、必ず。そんな自分を見てくれている。










闇の中で笑う。

真っ暗闇の中で過ごした体験を持ったことがあるだろうか?
現代を生きる人々には、ほとんどそれは、無いものなのかも知れない。


現代は、真夜中でも明るい。24時間オープンのコンビニはまるで誘蛾灯の様に夜の闇に徘徊する人々を誘う。


森や山の中で、暗闇の中で、一夜を過ごした経験のある者など、そうはいないだろう。


胎内巡り、という例外はある。お金を払って、暗闇の中を巡るあれだ。京都で言えば清水寺に、それはある。でもそんな物は本当の闇ではない。作られた、疑似的な闇の中を手すりや壁を伝いながら、ただ歩くだけだ。ほとんどお化け屋敷と変わりはしない。


本当の闇は現代人の心の中にこそ、あるのかも知れない。


誰かの闇は、誰かに伝染する。それは人々に蔓延し際限なく、果てしなく広がって行く。


介護や福祉を取り巻く世間の目は冷酷だ。まるで他人事なのだ。
認知症のお年寄りの言うことには、輪廻のように際限が無い。
共に働く仲間からは、負のオーラしか感じられない。
経営感覚の欠片もない社会福祉法人の経営者の知力には辟易する。
国を守るべき政治は、ミサイルと簒奪と既得権益固守にしか興味が無い。


だけど。


だからこそ僕は。


今日も明日も明後日も、その先もずっと、闇の中で笑う。


止まない雨は無い。決して明けない夜だって無い。
冬は必ず春となる。


そう信じながら。あるいは、そう信じることのできる自分の心にすがりながら。


真夜中に飛ぶカラスの群れが僕の心を蝕んでしまうその前に、僕は闇の中で、今日も密やかに笑う。

扇動と本質的な事実。

例えば、トランプだとかカールビンソン。
大陸間弾道ミサイルだとか、豚に囲まれてご満悦な北の指導者だとか。


シリアの難民だとか、イギリスのEU離脱だとか。


安倍政権のダメっぷりを知りつつ、政権交代を託す選択肢が皆無な日本の政治状況だとか。


もはや、世紀末的様相を帯びている人類社会。


ちっぽけな事で、些細なことで悩む自分に、嫌気がさす毎日を生きている自分。


扇動されていると知りつつ、盲目的に豚の大好きな指導者に従う隣人と、行きつく果ては破滅と知りながら選択肢を持つことすら許されない日本人。
銃社会を否定せずに人殺しに邁進する超国家と、モラルが消えて行く社会の中で独裁制を帯び環境破壊を加速させる、中華思想的自己肥大国家。


全ては扇動された人々が、権力者に追随した結果に成り立つ国家であり、本質が見えていないからこそ、それに誰も疑問を差し挟まない。


明日、核のスイッチが押されるとしよう。そして、それが自分の頭上に落ちることを想像してみる。


あなたの平穏な日々は業火に焼かれて、灰塵と化す。街は死体に溢れて血の川が流れ、人を焼く饐えた臭いが鼻を衝く。


けれど、そんな現実は誰も、わが身の事とは思わない。


安倍政権が推し進める言論弾圧や派兵や国粋主義的政策の全てが、戦前を臭わせていることに気が付かない現代の日本人。



君か?若しくは彼か?あるいは誰か?


誰かが、その悪魔のスイッチを押す。
エノラゲイが広島に躊躇なく原爆を投下したように。そこに、人の営みがあって、家族がいて、慎ましく生きる命が存在していることなど、微塵も想像せずに。


そしてその時、人類の歴史は終わる。恐竜が亡びた時とおそらく、同じスピードで。


扇動されて、それに従って生きることは容易い。
けれど、それは本質を見失い、思考を停止させてしまうことと同義だと知るべきだろう。
権力者の発表することの全てを、鵜呑みにしてしまってはならない。