六鹿宿

介護保険発足直後から介護の世界で働いている僕が見たり聞いたり感じたことを綴っています。

犬の右足

片足の犬を見た。
右足が膝の下から無い。
それがどこで失われ、どんな風に失われたのかは知る由も無い。
その膝下の右足が今、どこに有るのかさえも僕は知らない。


失ったものは永遠に還らない。


人々の過去もそうだし、未来さえもそうだ。


今までの人生で失ったものの数を数えてみるが、その数は得たものに比して、間違いなく少ない。たぶんそれはまだ、自分が前半生に生きているということなのだろう。


後半生。人生の終末に近づく時、おそらく、いや間違いなく、それは逆転する。


得るものよりも失うものの方が多くなる瞬間がやがて、訪れる。


それは右足を失った犬が、全力疾走が出来なくなった瞬間の素速さで。あるいは、右足が身体を失っても尚、肉と化して土と同化するような緩やかな歳月の果てに。


失いたくない。失うのが怖い。


そう思うのは、人生で得たものがあまりにも大きく、美しく、尊いものだからだ。


でもそれは、右足でしか無いし、それ以外の意思を維持することの出来た身体でしか無い。それは、いつか失うものでしか無く、永遠に還らないものでしかない。


さらばだ右足よ。さらばだその他の意思達よ。


別れは、確実にやってくる。出会ったその日からサヨナラへの秒読みは始まる。
でも、別れのあり方は、様々で。それが美しいものであるのか、あるいはそうでは無いのか。右足にとっての、あるいはそれ以外の部位にとっての、別れ方、失い方、果たして、その別れは。

海産躁占拠

総理大臣が海産と言い出した。
勝てると見越しての海産。


でも海は広かった。眠深トーが鬼謀のトーと合流を図った。



鬼謀のトーはラーメン大好き小池さんの人気に肖って強そうだから、選挙に勝つためには眠深トーもそこに乗っかるべきだと追随した。そりゃそうだ、占拠に受かりたいもん。


でもそんなに事はうまく運ばない。小池さんは醤油と鳥豚骨と塩と味噌を選別した。


すると、どうだ。味が全く違う。


醤油は、憲法を守れと言うし、鳥豚骨は今の憲法は時代にそぐわないと言う。塩はアメリカについて行けと言うし、味噌は沖縄の過去に学べと叫ぶ。


結局、丁寧に昆布で出汁をとって、豚の骨を飽きるほどに煮込み、麺を手で打って、九条ネギもその都度刻む。そういうラーメンが支持される。


海産は良い。


でも、躁占拠はやめて欲しい。


全てにおいて面倒くさいし、迷惑。無駄な税金を介護保険に回しておくれ。


紫色が嫌いだ。


なんだか公家っぽいし、冠位十二階では上の方だ。


けれど、ときどき僕の唇は紫色になる。


寒かったり、プールに入ったり。


そんな時、僕の唇が紫色に変わる。


唇を引きちぎって、地面に叩きつけたい衝動に駆られながら、あぁ、僕の唇は紫なのだとため息をついてみる。


そうして古代の高貴な色に対して僕はますます嫌悪の気持ちを強くする。


よし、それならこの紫を熱湯に浸けてやろう。


そうすれば紫は、一気呵成に赤へと変貌する。


けれど、それはとてつもない痛みを伴う。


やっぱり、それは止めておこう。


仕方が無いから紫で我慢しよう。痛いよりはマシだろうから。


だから明日は絶対、プールには入らないでおこう。


そして明日も暖かい日でありますように。