六鹿宿

介護保険発足直後から介護の世界で働いている僕が見たり聞いたり感じたことを綴っています。

語るべきことは、何なのか。

日本の社会で今、何が起こっているのか?
あるいはこの地球上で、今起こっている多くの悲劇の原因は何なのか?
今を懸命に生きる人々が、一体、どこを目指して突き進み続けているのか?
人類とは、そもそも、この地球上に何のために存在しているのか?
そして今を生きている、このちっぽけな僕自身はいったい何者なのか?


空を見上げると、そこには広大な中空があり。
大地は、その起伏の変容の中に生きる者たちを包み込む。
大海は際限なく、その波間に生と死を飲みこみ続けている。


延々と続く思考の答えは、見つけられそうなのに、そう思えた瞬間に消えて。
そんなことを考えている間に人々は年老いて、やがては死んで行く。


思考の果てに、僕は自分の語るべき言葉を見失いそうになる。


それでも、語らなければ。


正義の話がしたいわけでは無い。
生き方を、教えたいわけでも無い。
知ったかぶりをしたくも無いし、自分の言葉の正当性を誇示したいわけでも無い。


しかし、やはり思うのだ。
資本主義社会の行きつく先の、悲しみを。
生物学を無視した果ての医療の進歩が、どれほどの不幸を人類にもたらすかを。
人間の持つ、ナショナリズムや排他主義的思考そのものが、悲劇の連鎖を生むことを。
拡大や膨張の先にある破滅や破裂。
だが、それなのに、いや、それ故に美しい人間存在そのものを。


語るべきことは、何なのか?
時々見失いそうになるけれど、それでも僕は言葉を尽くして人々と共に生きて行きたい。
年老いて、死を迎えるその日まで、語るべきことを探しながら、語るべき言葉を見つけながら。
この先も、僕は生きて行くのだろう。

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