六鹿宿

介護保険発足直後から介護の世界で働いている僕が見たり聞いたり感じたことを綴っています。

親と子の絆。

親は子を慈しみ、子は親を慕う。
そんな当たり前の関係が破たんする瞬間は意外に簡単にやってくるようだ。


在宅介護の現場では、そういった破たんした親子関係を良く目にする。


親は独居、近くに娘や息子が住んではいる。
年老いた親が認知症を患い、徐々にそれが進行していく。
最初のうちは息子達も心配して老親宅に足しげく通う。
しかし…
認知症の進んだ老親は、娘や息子を認識できず、顔を見れば「泥棒!!」と怒鳴るようになる。
認知症には波があるので、時折、娘や息子を認識できることもある。だが、認識していても「お前!この間、私のお金をくすねたろう?」と物盗られ妄想によって激怒する。


そういうことを繰り返すうちに、老親宅へ息子達の足は、向かなくなっていく。


とりあえず、ヘルパーやデイサービスの利用だけを申請し、あとは放置。


放置を続ける間にも、老親の認知症はどんどん進行。体も徐々に弱って行く。


やがて、老親宅は糞尿にまみれ、悪臭を放ち、ヘルパーやデイサービスの一時的な支援では到底、人間らしく生きることなど不可能に。
そのことを介護事業者が息子たちに伝えるが、泥棒扱いにされた記憶が鮮明な彼らは「じゃあ、どこか施設に入れて下さいよ」とだけ言い、更に放置を続ける。
けれど、老人が巷に溢れるこのご時世、施設入所を申請したところで実際に入所が出来るまでに何年も待たなければならないことも珍しくない。


やがて、糞尿にまみれたまま老親は誰にも看取られずにこの世を去って行く。



そんな事実が…これと似通った現実が日本中に溢れかえっている。
なぜに、この事態に目が向けられないのか?世間は目を背けるのか?


介護保険では、超高齢社会は乗り切れない。介護施設も、もっともっと必要だ。
こんな悲惨な死に方をしなければならないお年寄りが居るという現実を、我々は直視する必要がある。



僕は、幸いにも介護の現場で働いている。介護保険の使い方も分かるし、認知症の症状も理解している。だから自分の両親がいざと言うときの心構えもできている。
親父にもオカンにも恩があるから、見捨てたりしない。


けれど、介護の世界を知らない多くの人々は親が認知症になった時に、何をどうすれば良いのかが分からない。そして分からないままに、目の前の現実に驚愕し、現実から目を背けるしか方法が無くなるのだ。例え親に愛情を感じていても、どうしようも手が打てない現実に成す術を失う。


僕は自分の息子が生まれた時に、本気で彼の為なら死ねると思った。自分の命よりも大切な存在がこの世に現れたことに無上の喜びを感じた。
多分、親になった多くの人々が同じような喜びを感じたはずだ。
そのことを決して忘れてはならない。自分の親も同じ思いで僕を、あなたを、慈しんでくれたはずなのだから。


例えば、僕が息子に見捨てられ、糞尿にまみれて孤独のうちに死んだとしても、僕はきっと息子を恨んだりはしない。自分に手を煩わせられるぐらいなら、息子自身の人生を幸せに歩んでもらいたい。


親とは、そういうものなのだ。


だからこそ、今のうちに、「認知症や介護保険のことを真剣に学んでみませんか?」
親と子の絆が断ち切られてしまう現実を目の当たりにするたびに、そう呼びかけたくなるのです。


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