六鹿宿

介護保険発足直後から介護の世界で働いている僕が見たり聞いたり感じたことを綴っています。

あぁ、やがて悲しき年度末。

1月は行き、2月は逃げ、3月は去る。
毎年、この時期に唱える呪いの呪文を今年も僕は反芻している。
雪溶けて、桜舞う季節を心待ちにしてはいるのだけれど、毎年必ず呪わしい思いに捕らわれてしまう、この季節。


それは何故か?


答えは至極、単純だ。


仲間が辞めていく、そういう季節だからだ。そして新しくこの業界に参入する仲間が、辞めていった仲間の数に比例するのかと言えば、そうでは無いからだ。


どんどん、どんどん。どんどん、どんどん、悲しいくらいに。蛇口の閉まらない水道管のような着実さで、ひび割れた大地に飲み込まれては消えていく。そして乾ききった大地から新しい芽が出ることは難しく、例え出た若くて純真で美しい青葉もやがては枯れ果てて消えてしまう。青いまま永久に、永遠に。


介護保険成立以降、拡大を続けたうちの法人もついに、大きく舵を切った。
事業所の閉鎖、規模の縮小という方向に。


だって、箱ばっかり作ったって、そこで働く「人」が確保できないんだもの。


月給安いは、認知症のお年寄りはストレスフルだは、夜勤もあるは、感謝もされないは、そりゃぁ、誰もこんな仕事したく無くなるわな、きっと。


でもな、あえて言うわ。僕はなぁ、それでもこの仕事が、やっぱり好っきゃねん。
人が人として生きて、そして最期の時を迎える。その最期の時、最期の瞬間をお手伝いできる仕事なんだもの。こんな仕事、医療と介護をおいて他に…ありますか?


今日も僕は夜勤中に、お一人、お婆さんをお見送りしてきました。
笑顔が素敵で、穏やかで、似た者夫婦のご主人ともラブラブで、家族の誰からも愛されていた、可愛くて優しいお婆さん。
夜中にね、息が止まってね、脈がとれなくて。さっきまで赤みがさしていた頬も真っ白になってて。生きている兆候が全く見当たらなくて。
それでもね、全然怖くなんてないんだ。「本当にお疲れさまでした。」って感情しか沸いてこないんだよ。「ありがとうございました。」って感情しか。


こんな感情を持つことのできる、人の死に携わって、今を生きることの意味を教えてもらえる。そんな、尊い仕事をしていると僕は思っている。


大地の乾きを潤すには、あまりにも微弱な一滴。
それでも僕は、乾いた大地に芽吹こうとする若葉に、この一滴を投じていたい。
お婆さんへの感謝の気持ちが、萎えそうな僕の心に、この一滴に、活をくれた。
ご冥福お祈りいたします。きっと天国でお父さんと…。








愛媛

時々、旅に出る。
今回はプラッと愛媛に行ってみた。


鯛にジャコ天、ミカンにレモン。思った以上に美味しいものが沢山でビックリした。
宇和島の闘牛 大洲の古い町並み 砥部の焼き物 道後の湯 今治のタオル
何だか、どの町にも昭和、あるいは大正や明治の香りが残っていて楽しかった。


帰りに、しまなみ海道を北上。村上水軍の史跡を巡りながら本州に戻った。


日本のシルクロードの役割を担った瀬戸内海航路の番人。商人的な側面と、海賊的な側面。意外に武士的な顔もあったりして。なかなか面白い一族が居たものだ。


時の権力者と時に和し、時に戦い。広大な海に生きて、そして死んでいった人々。


海から見ると、歴史もまた違った景色を見せてくれる。
一つの方向から見る景色は狭いものだ。陸から見ただけでは、歴史は語り尽くすことができない。


多様に多面に、広く深く、物事は捉えなければ本当の姿は見えてこないのだと言うことを教えて頂いた旅でした。愛媛に感謝。


あ~明日からまた仕事…。頑張ろ。

そう、これで100話。

ブログを始めて、1年半。
脳味噌がその動きを停止し、まるで言葉を紡げない時期もあるにはあったが、それでもこのブログは100話まで辿り着いた。


ここまで綴る事が、何とか僕にも出来た。


ブログを書き始めた頃は社会福祉に対して、今では考えられないくらいに至極、前向きに取り組む姿勢を持っていた。けれど、ブログの内容の変遷を辿ってみれば誰もが理解してくれるだろう。今の僕には、自分のこの先に進むべき道が見えない。


日本の総理大臣が唱える滅私奉公的美しき日本の再生。アメリカに誕生した排他的政権。イギリスの自己中心的EU離脱。ロシアの凶暴な覇権的振る舞い。中国の貪欲な領土的野心。イスラム社会の排外的先鋭化。朝鮮半島の盲目的混迷。


その全てが、戦争を予感させる。人と人とが争う果ての鮮血を、僕はリアルに感じ取ってしまう。


戦争が起これば、真っ先に死ぬのは誰なのか?


戦争を起こした人間は、決して最初に死にはしない。最後まで生き延びる人間が真っ先に戦争を始める。


社会福祉の対極にある戦争。それを、わが身に降りかかる災禍では無いと信じている現代の日本人。けれどそれは、愚かな幻想なのだと言うことを日本の人々は知るべきだろう。


70年前に、あなたのルーツである人々が真珠湾を攻撃し、中国や朝鮮あるいは東南アジアの人々を殺戮し、ゼロ戦や桜花で盲目的に死地に赴き、無差別的な焼夷弾や原爆の炎に焼かれたのだという消し去ることの出来ない歴史。


その歴史の、その先の未来が今である以上。そして今、資本主義社会が行き詰まり、地球上にある資源の枯渇が始まっている中で、それなのに環境破壊を停める術も無く自然の報復が目に見えて明らかになりつつある現況下、そこで僕らは何を思い、何を目標にすれば良いのだろう?


もしかして、日本の超高齢化など長期的スパンで考えれば一過性の、ごく短期間の、取るに足らない事象なのかも知れないと気づいた時、僕は自分の道しるべを根源的に見失った。まるで、我こそが海の主人公だと信じて疑わなかった鮪の群れが、強大なクジラの胃袋に気付く間もなく、無意識的に飲みこまれてしまったかのように。


生きている時代や社会のダイナミズムに、無条件で取り込まれてしまう一個人。
それでも僕は、この今が歴史に変わって行く様を、真っ直ぐに目を逸らすこと無く見届けてやろうと思う。


答えが見えないのは、それはそれで人間らしい。けれど、生きている今と言う時間を捉えながら、何とか自分らしく生きていれば、答えは出なくとも、見えてくるものは必ず有るはずだと僕は信じている。そうで無くっちゃ、生きている意味ですら分からなくなる。