六鹿宿

介護保険発足直後から介護の世界で働いている僕が見たり聞いたり感じたことを綴っています。

そう、これで100話。

ブログを始めて、1年半。
脳味噌がその動きを停止し、まるで言葉を紡げない時期もあるにはあったが、それでもこのブログは100話まで辿り着いた。


ここまで綴る事が、何とか僕にも出来た。


ブログを書き始めた頃は社会福祉に対して、今では考えられないくらいに至極、前向きに取り組む姿勢を持っていた。けれど、ブログの内容の変遷を辿ってみれば誰もが理解してくれるだろう。今の僕には、自分のこの先に進むべき道が見えない。


日本の総理大臣が唱える滅私奉公的美しき日本の再生。アメリカに誕生した排他的政権。イギリスの自己中心的EU離脱。ロシアの凶暴な覇権的振る舞い。中国の貪欲な領土的野心。イスラム社会の排外的先鋭化。朝鮮半島の盲目的混迷。


その全てが、戦争を予感させる。人と人とが争う果ての鮮血を、僕はリアルに感じ取ってしまう。


戦争が起これば、真っ先に死ぬのは誰なのか?


戦争を起こした人間は、決して最初に死にはしない。最後まで生き延びる人間が真っ先に戦争を始める。


社会福祉の対極にある戦争。それを、わが身に降りかかる災禍では無いと信じている現代の日本人。けれどそれは、愚かな幻想なのだと言うことを日本の人々は知るべきだろう。


70年前に、あなたのルーツである人々が真珠湾を攻撃し、中国や朝鮮あるいは東南アジアの人々を殺戮し、ゼロ戦や桜花で盲目的に死地に赴き、無差別的な焼夷弾や原爆の炎に焼かれたのだという消し去ることの出来ない歴史。


その歴史の、その先の未来が今である以上。そして今、資本主義社会が行き詰まり、地球上にある資源の枯渇が始まっている中で、それなのに環境破壊を停める術も無く自然の報復が目に見えて明らかになりつつある現況下、そこで僕らは何を思い、何を目標にすれば良いのだろう?


もしかして、日本の超高齢化など長期的スパンで考えれば一過性の、ごく短期間の、取るに足らない事象なのかも知れないと気づいた時、僕は自分の道しるべを根源的に見失った。まるで、我こそが海の主人公だと信じて疑わなかった鮪の群れが、強大なクジラの胃袋に気付く間もなく、無意識的に飲みこまれてしまったかのように。


生きている時代や社会のダイナミズムに、無条件で取り込まれてしまう一個人。
それでも僕は、この今が歴史に変わって行く様を、真っ直ぐに目を逸らすこと無く見届けてやろうと思う。


答えが見えないのは、それはそれで人間らしい。けれど、生きている今と言う時間を捉えながら、何とか自分らしく生きていれば、答えは出なくとも、見えてくるものは必ず有るはずだと僕は信じている。そうで無くっちゃ、生きている意味ですら分からなくなる。

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