六鹿宿

介護保険発足直後から介護の世界で働いている僕が見たり聞いたり感じたことを綴っています。

犬の右足

片足の犬を見た。
右足が膝の下から無い。
それがどこで失われ、どんな風に失われたのかは知る由も無い。
その膝下の右足が今、どこに有るのかさえも僕は知らない。


失ったものは永遠に還らない。


人々の過去もそうだし、未来さえもそうだ。


今までの人生で失ったものの数を数えてみるが、その数は得たものに比して、間違いなく少ない。たぶんそれはまだ、自分が前半生に生きているということなのだろう。


後半生。人生の終末に近づく時、おそらく、いや間違いなく、それは逆転する。


得るものよりも失うものの方が多くなる瞬間がやがて、訪れる。


それは右足を失った犬が、全力疾走が出来なくなった瞬間の素速さで。あるいは、右足が身体を失っても尚、肉と化して土と同化するような緩やかな歳月の果てに。


失いたくない。失うのが怖い。


そう思うのは、人生で得たものがあまりにも大きく、美しく、尊いものだからだ。


でもそれは、右足でしか無いし、それ以外の意思を維持することの出来た身体でしか無い。それは、いつか失うものでしか無く、永遠に還らないものでしかない。


さらばだ右足よ。さらばだその他の意思達よ。


別れは、確実にやってくる。出会ったその日からサヨナラへの秒読みは始まる。
でも、別れのあり方は、様々で。それが美しいものであるのか、あるいはそうでは無いのか。右足にとっての、あるいはそれ以外の部位にとっての、別れ方、失い方、果たして、その別れは。

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