六鹿宿

介護保険発足直後から介護の世界で働いている僕が見たり聞いたり感じたことを綴っています。

グレーゾーン

白か黒か、はっきりしない領域。いわゆる、グレーゾーンについて。
例えば、医療行為。


10数年ほど前までは介護職が吸引や適便あるいは浣腸を行うことに疑念を挟む者は誰も居なかった。
普通に新人職員であった僕は先輩職員から、それら医療行為とされているものを教えられ、実際にお年寄りに対して行ってもいた。
医療行為だか何だか知らないが、24時間看護職が居るわけでもないし、夜中に喉に痰でも詰まろうものなら命に関わってくる訳だから介護職が吸引するなんて当たり前のことだった。
排泄の管理も介護職が行っている訳で、自然、適便や浣腸を施行するのも介護職である方が理にかなっている。
それが今やどうだ?資格至上主義の世の中。医療行為は介護職が行えないという建前になっている。
ただし、途方もない時間のかかる研修を受けた介護職に限っては許される医療行為も存在する。
けれど、介護職はそんなに暇じゃない。お年寄りの24時間を支えながら、そんな無茶ぶりされたって「知るか。ぼけ!」って話だ。
要は、24時間寄り添える人、それは介護職であったり家族であったり。そういう人々が、最低限行うことの出来る医療行為は存在して然るべきで、それがお年寄りの為になるのなら、それで良しとする寛容の精神なんじゃなかろうか?世の中は世知辛い。
そもそも医療行為なんて命名するからややこしい。
痰をとって喉を楽にしたり、出にくい便を綺麗に出してスッキリしてもらったり。そんな日常生活の些細な事柄を医療行為なんて厳めしい言葉で禁止するから、この世の中は生き難くなるんだ。
危険性についての認識さえ持てば、それらの行為は別段、複雑でも何でもない。


さてさて、今度は「虐待」のグレーゾーンについて。
テレビでよく見るような「叩いたり」「放り投げたり」みたいな、あきらかな虐待では無いけれど、それって不適切なケア提供じゃあ無い?ってなやつ。


例えば良く言われるのが「スピーチロック」=言葉による拘束。
「黙らせる」ってやつね。大声で叫ぶお年寄りを「黙って」と制止したり居室に閉じ込めたり。
あるいは何度も同じ訴えを続けるお年寄りに「何回、同じこと言うの?」と返したり無視したり。
立ち上がったら、こけるお年寄りが立ち上がろうとしたら「座って!」と半ば強制的に座らせたり。


正直に言うと「グレーだな~」とは思いつつ僕もそういう不適切ケアに手を染めることは有る。
絶対、それらの行為を止めろって言われたら仕事なんて出来ないし、進まないのだから。
想像してみて欲しい。
自分は10人のお年寄りの介護を1人で担っている。ある1人のお年寄りが大声で叫び続ける。その大声によって周囲のお年寄りも不穏になる。不穏になったお年寄りが1人、2人と落ち着けなくなって立てばこけるのに立ち上がったり、徘徊が止まらなくなったり。大声で返し始めたり。
さぁ大変。仕事が前に進みません。


問題はやっぱり中庸なんだと思う。10人のお年寄りの代表者として、振る舞えば良いのだと思う訳。
大声を出す原因に寄り添って、真摯に向き合って、それでもダメなら「少し休んで心を落ち着けましょう」という意味合いで居室に戻ってもらう。傍から見ればそれが「閉じ込める」という行為だったとしても、それはそれで有りなんだと僕は思う。


ただし、無意識のうちに、それらグレーゾーンに手を染め始めると、それは「虐待の芽」になり得る。
意識的で無い不適切介護は「当たり前化」していく。当たり前は、更にその先の当たり前を生んで、それこそ手が出るような「虐待」を「当たり前化」してしまいかねないのだ。


だから、常に立ち止まって考える心の余裕は持たなければならない。
さっきのは、グレーだったなぁって振り返る自己点検。それから同じ職場で働く仲間からの「今のは、グレーだったぜ」っていう言葉掛け。
そういう、風土や土壌のある職場。それがグレーには少し寛容だけど、極端な虐待を発生させない職場なのだと思う。


物事は単純には行かない。中庸の精神を持ちながら、仕事の様々な場面での判断をしていきたいと僕は思います。

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