六鹿宿

介護保険発足直後から介護の世界で働いている僕が見たり聞いたり感じたことを綴っています。

ケアマネの質

昨年度、ケアマネの試験を受け、無事に合格した。
合格したら合格したで大変で…ぎょうさん研修受けましたし、宿題も半端無くきつかった。
まぁそれもこれも何とかクリアして、晴れて僕も介護支援専門員。
まぁでも施設で働いているので、もとからケアプランもどきは作成していたので、今までの業務と何ら変わるところは無いのですが。
で、この試験合格後の研修で講師の方が常々言われていたのが…
「今、ケアマネジャーの質が問われています!」だった。
どうやら行政からの圧力が厳しいようで「利用者本位のケアプランが立てられていない」「介護保険外の、特にインフォーマルサポート(要はお金のかからんボランティア)をケアプランに組み込めていない」「医療との連携が十分では無い」と繰り返し仰る。
でも、よく考えたら、それって講師であるあなたも含めて、僕らの先輩方がケアマネの評判落としてるのと違うの?って腹の中では思っていた。


もちろん、先輩方の資質の問題だけでは無いと僕は思っている。
介護保険のシステム的な部分を包括的に担うべく生まれたケアマネという職業。
とにかく介護保険を回すために大量のケアマネが必要だと、初期のケアマネ試験の甘かったことは今でも語り草になっている。まぁだから、甘々試験の合格者に質を求めるのは、どうか?ということ。
更に現場を見ずにケアプランを作成することで、実際のケアとケアプランが乖離してしまっているという事実も存在するということ。
それにお年寄りやご家族がケアプランの中身よりも、どういうサービスが受けられるかに興味を集中される傾向にあること。
またケアマネジャーの担う、雑務があまりに多く煩雑であること。
他、諸々。
だから、行政の人間がケアマネジャーの質云々にイチャモンつけるんは、それこそ現場を知らんから違う?って思ってしまう。特にインフォーマルサポート云々については、お前らが育てる努力をしろよって思うし。そんな専門外の担い手に、どこまで何を委ねるの?介護保険料払って、サービス料の一割負担まで支払うお年寄りに、フォーマルサービス(プロによるケア提供)をお勧めするんは当たり前だろ?って思う。


ケアマネ合格してみて、同じく合格した人たちと話をしてみたけれど、やっぱり介護保険を信奉している人は少なくて。介護保険自体の信用が無いのにケアマネの質がどうのって?
まずは信頼できる介護保険をとりもどすことが先なんじゃない?
それとも介護保険もやめて「ケアマネも要らん」ってして措置の時代に戻る?
それじゃあ、介護の社会化も放棄することに繋がるから、社会保険方式じゃなくて全額税方式で行く?財政的に無理?そうですね。恐ろしい借金ありますもんねこの国は。
でも防衛費、5兆円をシフトしたら意外と賄えたりしません?
と、色々思った。


とにかく、地域包括ケアの美名だけでは乗り越えられ無いよ2025年は。ケアマネの質を高めるも良いけど、そこ忘れてたらあかんと思う。そこんとこ、よろしゅう。

「適当介護」のススメ

僕の、介護の歴史ばかりを綴っていても仕方が無いので今回は少し趣向を変えて「僕の介護の主張」を述べてみたいと思う。
この業界に入って、同僚やご家族、それから行政を見て。常に思うこと。
「固い」「真面目」「肩に力入り過ぎ~!」ほんでもって「深呼吸すれば?」



介護にまつわる不幸な出来事。介護殺人 虐待 老老介護 介護放棄…嫌なニュース。本当に良く目にしますよね。


そんなものを行政や介護保険は救ってはくれません。
世の中の意識を変えるのも一筋縄では行きません。
もちろん、あきらめたらあきませんよ!日本人みんなの問題ですから。
そこの発信は介護業界を担う人間の責務。そこは譲らないでね!



で、先ず。僕ら業界人に簡単にできることから始めませんか?ってお話です。


そう、介護に携わる人々よ、先ずは肩の力を抜いて下さい。ゆっくり息を吸って下さい。



みんな神様か仏様みたいに、悲しいぐらい自己奉仕しすぎです。
特に介護労働者に告ぐ。もっと楽にやりなはれ。ほんま残業なんて…ほんまに必要な時だけにしなはれや!何の得もありませんよってに。



必死で食事介助すんなって!
見てみ。お婆ちゃん、のど詰めそうやん。しんどい言うてはるやん。そんだけカロリー必要か?
ぼちぼちでええがな。この年まで頑張ってきはってんで~。



必死で転倒事故、防がんでええて!
センサーつけるか?ベッド柵で囲うか?それとも薬飲ませてドリドリにしてまうか?
動きたいねん、放っといてほしいねん。あんたの私見る目、怖いえ~!
安全に、こけてもろたらええんですわ。管理的になり過ぎるほど、お互いにしんどくなるんです。



看取り、ターミナルケア。必死こいたらあかん。普段通りが一番やて!
もうすぐ息止まりますわ。思い出いっぱいありますわ。泣きたくもなりますわ。
でもね、長いこと生きてきはってん。あんたより何倍も生きてはるねん。人間、生まれたら絶対死ぬねん。
だから必死こかんでええ。とにかくいつもやってること丁寧にやろう。家族ともいっぱい話しよ。
いっぱい、いっぱい、精一杯、生きてきはったんや。
ありがとう。大好きやったで。よう頑張ってくれはった、お疲れ様。そう言うて、笑ってお別れするんが一番ですわ。



泣くのは後でええねん。


すいません。感情が留められず、自の関西弁で、まくしたてました。


とにかく僕は、そういう心持でたくさんの別れを経験して強くなれました。


「適当介護」
適当というと、いい加減なってイメージがありますね。
でも、違いますよ。
身の丈にあった、自分の心の全てで感じることのできる、そういう意味で僕は使ってます。



さぁ、今日も前に進みましょう。


介護の世界に足を踏み入れた2001年。

大学を出て約3年が経過。
営業や販売の仕事を転々としていた僕は何をなすべきなのか分からずに日々悶々としていた。
たまたま、当時お付き合いしていた女性が京都市にある老人保健施設で仕事をされており、何かの行事…おそらく敬老祝賀会のような会だったと思う。その会で「楽器を演奏してくれないか?」と僕にオファーしてくれたことがきっかけになった。
2000年に開設されたばかりの老健、美しく広大な建物。その当時の僕の目には職員は皆、生き生きと働き、お年寄りも笑顔で幸せそうに暮らしている姿が映った。
「働いてみたいな。」素直にそう思ったのだ。
これまでの仕事では常に金勘定がつきまとい、資本主義的思考を強要され、正直そういうことに辟易し始めていた。ここなら、そういう煩わしさから離れて、人の助けとなる仕事を続けて行けるんじゃないか?
そう考えた僕はすぐに、当時「ヘルパー2級」と言われていた資格を取得。
介護の世界の門を叩いた。
お年寄りの生活を支える仕事。それは僕の想像をはるかに超えていて…。先ずお年寄りを目の前にしてもどうして良いか分からない状態から始まる。
ヘルパー2級では「体位変換」「シーツ交換」「トランスファー技術」などを講習生同士で実施しながら学んでいく。でも目の前のお年寄りは、全く足に力が入らなかったり、拘縮が強かったり、全力で介助に対して拒否をされたり。全くもってかってが違う。
とにかく先輩職員の体の動かし方を参考に、繰り返し、繰り返し実践していく他は無かった。


ちなみに、僕が最初に配属された部署は老健では無く、特養に併設されたショートステイであった。
ショートステイはその名の通り、お年寄りが平均で4~5日程度滞在され、お家に帰っていかれる。
つまりひっきりなしにお年寄りの顔ぶれが変わっていく。介護の世界に足を踏み入れたばかりの僕にとって、このことは非常に苦しいことであった。やっとお年寄りの顔を覚えたと思ったら、その方は帰宅、また新しいお年寄りが入所される…。
「これはえらいこっちゃ…」
でも、今思えばこの経験が今の僕に繋がっているとも言える。
たくさんのお年寄りと出会い、共に生活をしたからこそ、どんな新人よりも多くの経験や学びを得ることが出来たのだ。そのことが、僕の介護観や介護のスキルを育ててくれた。
この時の経験なしに今の僕はあり得ないと思うのだ。