六鹿宿

介護保険発足直後から介護の世界で働いている僕が見たり聞いたり感じたことを綴っています。

我が道を行く。

理不尽な命令や指示に対して、理不尽だと言い返す。
だが、無理やりに理不尽を押し付けられた時。そして反論を無視し続けられた果てに。


そんなことに頷く気になれない僕は我が道を行くことに決めた。


上からは、やっぱりあいつは言うことを聞かない部下だと蔑まれ。
下からは、逃げてるだけじゃないですか?と白い眼で見られる。


そして僕は孤独になるわけだ。それで僕は構わない。


良いだろう。やってみろ。
やがて組織は崩壊へと向かうだろう。そうだ、蔑まれ白い眼で見られる僕が占う未来の組織の姿だ。全くもって信じる必要など無い。


ここでは無いどこかで僕はそれを眺めながら、お疲れ様の呪文を唱えて進ぜよう。


さらばだ永遠に。永遠にさようなら。

そこにある、どこにも無い何か。

夢の話をするのは阿呆のすることだ。
そう言い聞かされて僕は、育った。


意味の無いことを語ることは、人間として恥ずかしいことだと教わって今までを生きてきた。


僕はだから、途方もなく無口だ。海中深くに沈む意思を持たない貝殻のように。


そこにあるけれど、どこにも無い何かを求めて、際限なく無口であることが使命だと信じて疑わなかった。


けれど心を無視して僕の脳は、意味を持たない夢を見る。


夢の中で僕は空を飛んでいた。


まるで、無重力の中で大地を力強く蹴ったみたいに、僕はどこまでも遠くへ飛んで行くことが出来た。


そうか、そこにあるけれど、どこにも無い。そういう存在で在りたいからこそ、僕は今夜もまた夢を見るのだろう。そして、それを誰かに語る明日が訪れることを望みながら、僕は目を閉じた。月も見えない夜の底で。

枯れて死にゆく。

人の死を沢山見てきた。
有難いことに日本は平和なので、別段、戦の果ての血みどろの死を見た訳では無いのだが、それでもこういう職場に居ると、色んな死を見る機会はあるわけで。


医学の進歩が行き過ぎた果てに、呆け老人の数は無制限に増えた。


笑うことすらも出来ない彼らに、どう引導を渡すべきなのか、誰も答えを見つけられないでいる。そう、そこに寄り添うべき家族ですら、それに答えることは出来ないでいる。


医学の進歩の話で言うと、それが無ければ、おそらく僕は30年前に死んでいた訳で。現代医学が発達してくれていたからこそ、僕は今を生きている。僕は幼いころ、心臓病で死線を彷徨った経験を持った。だから行き過ぎた医学について何を言える立場でも無い。


しかし敢えて言う。死を自分の事だと捉えることの出来ない人間が多すぎる。


明日、君は生きているのだろうか?


君の大切な人は、無事に明日を迎えることが出来るのだろうか?


ある日、突然に死はあなたやあなたの大切な人の下に訪れる。


けれど人々は何も考えず、普通に昼飯に何を食べようかと考える。
或いは、今日の仕事の失敗について無意味に際限なくクヨクヨする。更には、快楽の深みに盲目的に溺れることに、その身を委ねる。クジラの背に乗って、その潮煙の美しさに目を奪われている隙に海中深く沈み込むことなど誰も想像できないでいるのだ。


最近、脳出血でお爺さんが一人、亡くなった。


何事も無い平穏な日常を過ごした果てに、脳の中の血管が1本、夜中に切れたのだ。
人間の体など、丈夫なようで意外と脆い。その血管さえ、繋がっていてくれていたなら、お爺さんはいつもと変わらない翌朝を迎えられたはずなのに。


そういうことだ、死とは。


だから僕は、銀杏の木の様に枯れて行きたい。
夏の日の小ぶりで青々とした葉が、次第に大きく育ち、やがて雄々しい緑の大葉に育つ。
寒気が増すに従って、それらは黄金色に変わり、眩しいほどに輝きを増して行く。だがその美しさは瞬きほどの間のもので、厳冬に向かう中で黄金の葉は一枚ずつ地上へと静かに降り立つ。そうしてヒラヒラと枯れ行くほどに、それらは地面に美しい黄金の絨毯を敷き詰めて行く。


枯れて死に行く運命なら、せめて死しても尚、美しい絨毯であれるように。


死を自分の物だと感じて、今を生きて行きたいと思う。