死に様。
今日、ある大先輩のお通夜に参列した。
物凄い人の波で途切れることの無いその長蛇の列は、大先輩の誰からも愛されたその仁徳を雄弁に物語っていた。
お顔を拝みながら、涙を止めることが出来なくなった僕は、トイレの個室に駆け込んで思いっ切り鼻をかんだ。鼻水なのか涙なのか良く分からない液体にまみれながら、なんでこんなに、心が締め付けられるんだろうと、不思議な気持ちになった。
実を言うと直接的にお世話になる機会があったわけでも無く、お話をする機会もほとんど無かった大先輩。
だけど彼は、やっぱり凄い人だったんだ。
老人病院にお年寄りが溢れ、ろくに風呂にも入れず、痴呆に対する世間の理解も薄く、手や足を縛られて、生きてるんだか死んでるんだか分からない様な生活を強いられていた福祉の暗黒時代。その後に続く寝たきり老人ゼロ運動やゴールドプランが策定される日本の高齢者福祉の草創期。
そんな時代から福祉の増進を唱え、お年寄りがたとえ身体に障害が現れても、たとえ痴呆を患ったとしても「その人らしく」生きることの出来る社会を構築するべきだと声を枯らして叫び続けた大先輩。
そして、介護保険の時代に入ってからも、その危殆に対して異を唱えながらも、福祉を守り抜くことに腐心され続け、社会福祉を担う後進の育成にも尽力され続けた。
そして近年では、戦争が社会や福祉を破壊していくことを憂えて、安倍政権の唱える安全保障政策に対して危機感を覚えておられた。
その人生を社会福祉の増進に捧げ、後に続く僕らにバトンを託して、彼は逝った。
彼は、生き切った。
70歳手前で死んだ彼に対して、ある同僚が「大先輩が可愛そうだ」と話した。
僕はその言葉に強烈な違和感を覚えた。
なぜなら、彼は彼の人生を生き切った。そう僕は思うからだ。なんで可哀想なのさ?
これだけの人生を歩み、周囲からも愛されて彼は旅立ったんだ。生き切ったよ。
断言しても良い。彼は生き切ったんだよ。
後進に託されたバトンは、確かに重い。だけど立ち止まってちゃ、大先輩に申し訳が立たない。
だから、彼が生き切った過去を糧にして、僕らは今を、この先の未来を生き切らなきゃならない。
彼の死に顔は、身体中が泡立つほどに美しかった。生き切った人間の威厳が、そこには溢れていた。
そうだ、だから僕の涙は止まらなくなった。生き切った先の死に様に僕は心の底から震えたんだ。
生き切ることの出来る人間は死に切ることだって、できる。死に切った人の尊顔は、この先を生きる僕に最大級のエールを送ってくれたんだ。
ここで、僕は改めて断言する。
死は、誰にでも訪れる。あなたにも、私にも。
だから、生き切るしかないんだよ。
生き切った先の死に様は、想像をはるかに超えて美しい。
まるでそれは、生まれたばかりの生命であるかの様に光を放って、眩しいほどに美しいんだ。