六鹿宿

介護保険発足直後から介護の世界で働いている僕が見たり聞いたり感じたことを綴っています。

介護職の質。

介護福祉士は、その名前を独占できる資格であって、業務自体を独占できる資格では無い。
つまり介護福祉士でなくたって介護は出来るということだ。
その点、医者や看護師は、その資格を持たずに業務を行えば違法ということになる。
医療行為は資格を持つ者でなければ行ってはならないが、介護は資格を持っていなくても行うことが出来るわけである。


だからこそ、素人にもできる介護ではあるけれど、やはりプロならではの介護を介護福祉士がお年寄りに提供できることこそが、その専門性の寄って立つ所以なのだと思う。


それでは介護職の専門性とは何か?
先ずは「介護技術」
介護技術の中核を成すのは「トランスファー技術」つまり移動、移乗の介護技術である。
この技術の質の差が食事、排泄、入浴などお年寄りの生活全般の介助の質に直結するからだ。
朝起きて洗面所へお連れする、おトイレに誘導する、全てにトランスファー技術が必要だ。
お食事を提供する時にも、しっかりと椅子に深く座ってもらい、足を軽く引き、やや前傾の姿勢をとってもらう。ご本人の身体的な特徴を見定めながら正しい姿勢で食事摂取をしていただくためにも、トランスファー技術は鍵となる。入浴介助にしたって安全に快適に湯船に浸かって頂くためには、この技術の質が高くなければならない。
ベッドで横になっておられる時の安楽な姿勢を作るポジショニングにだって、やはりトランスファー技術は関わってくる。ほとんど身動きが出来ないお年寄りをベッド上で安楽な姿勢にして差し上げるには、相応の技術が必要なわけである。
この技術に関しては、ボディメカニクス的な理論を知る必要もあるし、何度も繰り返して練習し自分の体に覚えこませる必要もある。


知識という意味では、老齢期特有の疾病について、認知症について、緊急時の対応について、感染症についてなど介護を行う上で必要な事柄を熟知していてこそ介護のプロと言えるだろう。
特に認知症については、その中核的な症状、そこから現れるBPSD(周辺症状)についての理解を深め、どう対応すればBPSDを緩和し、穏やかな生活を送って頂けるのか?それを考え、実行することの出来る能力を有する必要がある。また精神科医とお年寄りの間に入って、状態の説明や報告を行う場面も多い為に、観察の能力や薬の知識も一定必要となる。これに関しては、その他の疾病についても同様の事が言える。急変や感染などの緊急時においてもお年寄りと看護職や医師との間に入るのはやはり介護職だからだ。
時にはご家族とお年寄りを繋ぐ役割を担うことだってある。
ご家族の認知症に対する理解、あるいはお年寄りの死に対する思いなどは本当に複雑で、お年寄りの現状を分かりやすく説明する能力や、それぞれの想いに寄り添うことの出来る力が介護職には求められる。


さて、更にもう一つ。介護職の専門性を規定する大切な能力がある。


それは以前にも述べたが「創造の力」だ。
どうすれば目の前のお年寄りに人生最後の時間の中で少しでも多くの「笑顔の時」を過ごしてもらえるのか?その事を真剣に考え、チームの同僚に発信し、検討して実行に移す能力。
何も無いところから何かを生み出す「創造の力」
この力を有してこそ、本物の介護職足り得ると僕は信じている。そして、この力を発揮してこそ介護職と言う仕事は断然に面白くクリエイティブな仕事へと昇華する。


長々と述べたが、介護職が専門性を有することは、たやすいことでは無い。
偉そうなことを書いている自分だって、まだまだ途半ばで、日々失敗を重ねている。


お年寄りの数が爆発的に増え、それに伴う形で介護の人材の不足が叫ばれ続けている。
そんな中で、介護職は質より数だろうという論調が強まっていることは事実としてあるとは思う。
確かに数が必要だ。絶対に必要だ。
けれど、だから質には目をつむるってのは、やっぱり違う。


僕は質にこだわり続けたい。職場の仲間たちと、手を携えて明日からも頑張ります。


介護に携わる人たちが、あきらめずに、前を向いて質にこだわり続けることが出来るように。
共に頑張って行きたいと、僕は思っています。

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