六鹿宿

介護保険発足直後から介護の世界で働いている僕が見たり聞いたり感じたことを綴っています。

痴呆の世界。

あえて、認知症では無く、痴呆と言う言葉を使う。
以前にも述べたことがあるが、僕が福祉の世界に飛び込んだ頃には認知症なんて言葉は存在しなかった。
今でこそ慣れたが認知症と言う言葉は、その対象者に対して愛のある言葉だとは僕は感じない。
どういう経緯があって認知症と言う言葉が生まれたのか良くは知らないが、僕の中では今でも痴呆は痴呆であり、呆けは呆けなのだ。その方が分かりやすくて、その人を表現するのに的を得ている。


脳血管障害、アルツハイマー、レビー小体、色々な原因によって痴呆は発症する。


短期の記憶が無くなる。
幻聴幻覚が現れる。
感情の抑制が効かなくなる。
徘徊や不潔行為が始まる。
今ここが何処で、今が何時なのか分からなくなる。
家族や親しい人のことが認識できなくなる。


脳が記憶を蓄積し、感情を抑制し、身体を制御するということを正常と言うのならば、その対極に位置するのが痴呆症ということになる。


自分が痴呆症を患った。それを想像してみる。
さっき食べた食事のことを忘れて「飯まだか!」と怒鳴る。
フローリングの床の板、一枚一枚が階段に見えて平面なのに必要以上に足を上げてしまう。
自分のお尻から出てきた排泄物を汚いものとは認識できず、とりあえずお尻が気持ち悪いので手に取ってみる。粘土の様に柔らかくて、なんだか楽しくなって弄んでみる。
周りの人間の話す言葉が異様に大きく聞こえて耳を塞いでみたけれど、やっぱり頭にガンガン響くので負けずに大声を上げて対抗してみる。
何処にいるのか良く分からなくて、とにかく知った場所を見つけようと当てもなく歩き続ける。
真夏で物凄く暑いけれど、今の季節が良く分からないから上着を何枚も重ね着してみる。
お風呂に入りたいけれど、お風呂が何処にあるのか良く分からないので、とりあえずその場で裸になってみる。
なんだか親しげに話しかけてくる人が誰なのか良く分からないから、愛想笑いと相槌で切り返してみる。


そう、そこには、痴呆の世界が広がっている。
脳と言う複雑な構造物が一部あるいは全部、崩れることによって、その世界は緩やかに若しくは急激に広がって行く。


しかし、そこに元からあった人格や魂は、やはり簡単には死なないし崩壊はしない。
そこには、これまで生きた、その人の歴史があり、その人を思う周囲の眼差しが確かに存在する。


だからこそ、痴呆の世界を知って、その人の人生を知って、今のその人を受容する心が、その人に関わる上で最も重要なポイントになる。


これからも痴呆の世界は確実にこの国で広がって行く。
あなた自身、あるいはあなたの愛する人も、その可能性を持っているという事実。
それに目を背けることなく、その後の生き方を考えるためにも痴呆への理解を多くの人が深めてくれることを、切実に願っています。

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