六鹿宿

介護保険発足直後から介護の世界で働いている僕が見たり聞いたり感じたことを綴っています。

ストレスと共に。

ただ単に生きているというだけで、人間はストレスに晒されている。
家族や会社、あるいは社会という組織の中で生きている以上、それは当然のことだ。
ストレスに対する適応能力やキャパシティーには個人差があり、外的な刺激を受けて、それをストレスだと感じる人も居れば、何も感じない人も居る。


例えば上司と部下。
同じ失敗を繰り返す部下に対して、上司は叱責を繰り返す。
上司「何度言ったら分かるんだ!この間注意したばかりだろ!!」
部下「すいません。やり直してきます。」
「叱責」が部下の、「同じ失敗」が上司のストレスとなる。どこの組織でもありそうな話。


「叱責」を受けた部下の心理状態。
A「なんやねん、むかつくねぇ。一生懸命にやってんのに、なんで怒られなあかんねん。」
B「あぁ。俺って駄目なやつ。何も上手くいかへん。上司にも嫌われてしもてるやん。」
C「くっそー。見とけよ。次こそ成功して、見返したるねん!」
D「また怒っとるわ。血の気の多い奴や。放っといたろ。」


「同じ失敗」に対する上司の心理状態。
A「あいつ、ほんま何回言うたら分かるねん。いつまでも尻ぬぐいできひんで!」
B「ちょっと、言い過ぎたかなぁ?俺かて、何回も同じこと言いたくないんやでぇ。」
C「どうやったら、あいつは伸びてくれるんやろ?次はちょっと褒めてみよか…。」
D「あかんわ。あいつは、もうあかん。なんぼ言うても無駄や。」


と、まぁ。同じ事象を取って見ても人それぞれの心理状態は異なる。
どう感じるかによっても、ストレスの多い少ないは、あるだろう。
Dに関しては、人間関係末期の状態でストレスは一番、軽いかもしれない。しかし、この先の二人の人間関係には希望が無い。
逆に一番、建設的なのはC。うまく回れば、互いに理解し合うことも将来的には可能だろう。ストレスに関して言うと、互いの関係性や捉え方によって増減すると言えるだろう。
AとBは、CとDの間にある感情と言えるかも知れない。ここの部分でのストレスコントロールが二人のこの先の関係性を大きく変えて行くことになるだろう。


端的に言うと、人間関係の構築を諦めたり、組織から逃げ出せば、その場のストレスからは解放されるということだ。
けれど、それは、決して建設的な未来を育むための利口な方法だとは言い難い。


人間として生きる限り、組織の中にある限り、それは避けては通れない道。
人と人が相対する状況において多かれ少なかれ摩擦が生じるのは、当たり前。
明日からも、ストレスと上手く付き合いながら頑張らねば!
そう、ストレスは貯めずに解消すれば良いんだから、ね。


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