六鹿宿

介護保険発足直後から介護の世界で働いている僕が見たり聞いたり感じたことを綴っています。

介護の世界に足を踏み入れた2001年。

大学を出て約3年が経過。
営業や販売の仕事を転々としていた僕は何をなすべきなのか分からずに日々悶々としていた。
たまたま、当時お付き合いしていた女性が京都市にある老人保健施設で仕事をされており、何かの行事…おそらく敬老祝賀会のような会だったと思う。その会で「楽器を演奏してくれないか?」と僕にオファーしてくれたことがきっかけになった。
2000年に開設されたばかりの老健、美しく広大な建物。その当時の僕の目には職員は皆、生き生きと働き、お年寄りも笑顔で幸せそうに暮らしている姿が映った。
「働いてみたいな。」素直にそう思ったのだ。
これまでの仕事では常に金勘定がつきまとい、資本主義的思考を強要され、正直そういうことに辟易し始めていた。ここなら、そういう煩わしさから離れて、人の助けとなる仕事を続けて行けるんじゃないか?
そう考えた僕はすぐに、当時「ヘルパー2級」と言われていた資格を取得。
介護の世界の門を叩いた。
お年寄りの生活を支える仕事。それは僕の想像をはるかに超えていて…。先ずお年寄りを目の前にしてもどうして良いか分からない状態から始まる。
ヘルパー2級では「体位変換」「シーツ交換」「トランスファー技術」などを講習生同士で実施しながら学んでいく。でも目の前のお年寄りは、全く足に力が入らなかったり、拘縮が強かったり、全力で介助に対して拒否をされたり。全くもってかってが違う。
とにかく先輩職員の体の動かし方を参考に、繰り返し、繰り返し実践していく他は無かった。


ちなみに、僕が最初に配属された部署は老健では無く、特養に併設されたショートステイであった。
ショートステイはその名の通り、お年寄りが平均で4~5日程度滞在され、お家に帰っていかれる。
つまりひっきりなしにお年寄りの顔ぶれが変わっていく。介護の世界に足を踏み入れたばかりの僕にとって、このことは非常に苦しいことであった。やっとお年寄りの顔を覚えたと思ったら、その方は帰宅、また新しいお年寄りが入所される…。
「これはえらいこっちゃ…」
でも、今思えばこの経験が今の僕に繋がっているとも言える。
たくさんのお年寄りと出会い、共に生活をしたからこそ、どんな新人よりも多くの経験や学びを得ることが出来たのだ。そのことが、僕の介護観や介護のスキルを育ててくれた。
この時の経験なしに今の僕はあり得ないと思うのだ。

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