六鹿宿

介護保険発足直後から介護の世界で働いている僕が見たり聞いたり感じたことを綴っています。

嘘つきになるのかも知れない。

子供は「嘘をつく子は悪い子です」と大人から言われて育つ。
嘘をつく人に対して「嘘つきは泥棒の始まり!」と、決まり文句の様に言う。


けれど、いつしか大人になって「嘘も方便」であることを覚えて行く。
たぶん、嘘をついたことの無い人間なんて居ないのだろう。


介護の現場で、良く起こる出来事。
在宅で過ごされていたお年寄りに、ある日突然、施設入所の順番が回ってくる。
独居の方だったり、家族の介護負担が大きくて施設へ「終の棲家」を移す必要がある方達。
客観的に見て生活が破たんしている状況の方に、優先的に入所の順番が回ってくる。


そういう場面でお年寄りに「介護が行き届いていて、安心して暮らせるから。」と言っても「何言うの?ワシはこの家から一歩も出えへん!一人でも暮らせるわい!施設なんか行かへんわい!」と憤慨される事が、時々ある。


特に認知症を患っている方などは、自分の生活がどんなに破たんしていようが、そのこと自体を忘れてしまっていたり、自覚が無かったりするので、「余計なお世話」という思いが更に強められる。


しかし、現在の生活の状況は本当に酷い。
腐った食べ物が冷蔵庫に詰め込まれ、床には糞尿が飛び散り、徘徊で行方知れずになったり、寝たきりで床ズレだらけだったり、家族から虐待を受けていたり。とにかく客観的に見て放っておけるような状況では無い現実が、実際に日本の高齢者宅には存在するのだ。
オーバーに表現しているわけでは無い。おそらくあなたの住む町にも、そういった高齢者宅は複数存在するはずだ。よくよく目を凝らして社会を眺めてみれば、そのことに気が付けるはずだし、ヘルパーさんに知り合いがおられる方等はお話を伺ってみれば、その悲惨さに驚愕されることだろう。


さてさて、であるから施設入所が決まったら、とにかく拒否なんかしている場合では無い。
そこで「今日もいつものデイサービス。夕方にはお家に帰れますよ。」と偽って、施設までお連れする。本人も「それなら」と同意して、施設まで足を運ばれる。


しかし、そこは終の棲家。落ち着かれている状態なら「帰宅外出」という、要は自分の家に少しだけ寄るみたいな対応をすることはあるが、基本的にその人の生活の場は「施設」に移る。おそらく、そこで死を迎え、本来の自分の家には生きている間は帰れない。
そういう状況に陥ることも実際には多いのだ。


当然、夕方になれば帰れると思っておられるお年寄り。混乱されたり、怒鳴られたり…。
本当に辛い思いをされることもある。
そういう時、職員は「今日からここが、Aさんのお住まいですよ~。私たちがお手伝いいたしますので、安心してお暮しください。」なんて声掛けはしない。
そういう声掛けをしてしまう職員もいるが、そんな声掛けで納得されるお年寄りはほとんど、おられない。


そして、また嘘をつく。「車が用意できたら送りますね。」「明日になったら帰りましょうね。」
とにかく落ち着いてもらう為の方便。車など来ないし、明日も帰れない。


なんとか泊まる気になってもらえれば、一安心。
翌日も、その翌日も「車が来れば…」「明日になったら…」と繰り返される。
そうしていつしか、「施設」を生活の場として認識してもらえる時がやってくる…。


そういう光景が、介護の現場で無数に見られる。
僕自身も認知症のお年寄りに落ち着いて頂くために、沢山、本当に沢山、嘘をついてきた。
「善意のウソ」と腹の中では思っているが、時々、因果な仕事やなぁ~と悩むこともある。
きっと、僕は死んだら地獄に行って閻魔さんに舌を抜かれるんやろな…と。


語弊の無いように言いますが。もちろん、喜んで施設入所される方も沢山いらっしゃいます。
また、認知症も無く自分で自分のことを決めることの可能な方に嘘をついて施設まで来てもらうようなこともありません。あくまでも、認知症の方で自宅への執着が強いけれど、そこで生活することが困難な方のお話です。
介護の現場には、そういうこともあるのだということをお話したかったのです。悪しからず。



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