六鹿宿

介護保険発足直後から介護の世界で働いている僕が見たり聞いたり感じたことを綴っています。

いつもの海。

ここ10年ほど、毎年夏になると同じ海に向かう。
和歌山市の数10キロ南に位置する砂浜。
海に足を浸けてから100メートルくらいまでは肩までの深さの遠浅の海。
子供連れが安心して遊ぶことの出来る、穏やかな海。


しかし今年は何だか様子が違った。


波が例年に比べて異様に高い。
九州の西を進むと予想される、台風12号が影響しているのだろうか?
あるいは、地球規模の自然の変調に起因するものなのか?


日差しはかなり強烈だが、水温も低く身体が冷えて1時間も泳ぎ続けることは僕には不可能だった。


それでも僕の息子や甥っ子、姪っ子は浮き輪をつけて波に揺られ続けている。


とりあえず、彼らの安全を見守りながら僕は波打ち際へ。


見守るだけでは退屈なので、砂で山をつくる。
掘って、掘って、積み上げて、叩いて、叩いて、整える。ずっと何度もそれを繰り返す。
照りつける太陽を背に、手を休めることなく僕はその作業を続けた。


子供らは波の狭間で、楽しそうに笑っている。波は高いままだ。


そのうちに疲れた彼らも、一緒になって砂の山をつくり始める。
それなりに満足の行く大きさの山が、時間をかけて出来上がる。


しかし午後に向かって徐々に潮は満ちて行った。


満ちる速度も速く、出来上がって30分も経たないうちに山の裾を波がさらい始めた。
残念そうな表情の子供たち。


用意したスイカを浜辺に持ち出し「スイカ割りしよか」と注意をそちらに向ける。子供たちはすぐに嬉しそうな顔をして順番を取り合いながら、その甘くて瑞々しい緑の果実へと向かっていく。
やがて赤い果肉が露わになり歓声が沸き起こる。包丁を入れて皆で分け合い、小さな種を飛ばしながらそれにかぶりつく。


山は、いつのまにか崩れてしまい、その姿を消していた。
波は相変わらず高い。


時は流れて行く。波は満ち引きを繰り返し、いつもの海で人間は変わらぬ営みを繰り返す。


しかし時は止まらずに流れて行くけれど、実は自然も人も少しづつ少しづつ変わっていくのだ。
スイカ割りに興じて気付かれないままに姿を消した山に、成長していく子供たちが様々なものを獲得していく中で「失っていくもの」を重ね合わせた。
そんな、いつもの海での出来事だった。


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