六鹿宿

介護保険発足直後から介護の世界で働いている僕が見たり聞いたり感じたことを綴っています。

団塊の世代の不思議。

僕の両親は、いわゆる団塊の世代の範疇に入る年代の人たちだ。
今日は、焼き肉を奢ってくれると言うので実家近くの焼き肉店に赴いた。
そもそもワーキングプアな僕にとっては、牛肉(吉野家を除く)自体が久しぶりで…
和牛のその柔らかな甘みに…舌鼓♡…。
あかん。食べ過ぎて、苦しい。でも、うまかった~♪


戦後生まれの彼らは、学生時代は体制に反抗し、日本の高度経済成長期を支えて額に汗して働き、バブル期には株をしこたま買い込こんで、そして今は財を成して悠々自適の日々を送る。言わば日本の青春時代を生きた人々だ。


良い時代に生まれた。多分、多くの団塊の世代の人々が感じているのではないだろうか?


この親世代といえば、戦前戦中に青春時代を送り、多くの死と隣り合わせに生きてきた「欲しがりません勝つまでは」な世代。
子の世代はバブル崩壊後の、資本主義経済どん詰まり社会に生きる僕らの世代。一部の金持ちと多くの貧困層が形作る社会を生きている。「欲しがりません勝つまでは世代」と比べると、食べる心配はしなくても良いし、贅沢を言わなきゃそれなりに生活も送れるので、文句を言えるような不幸な世代では決してないが、団塊の世代の青春期に比らべれば今は日本社会の晩年という捉え方もできるだろう。
この次の世代は、更に深刻な時代を生きることになるように思う。
日本の人口は確実に減るし、超高齢社会だし、昨今の安保法制の議論を見るに、どうやら日本人が武器を持って殺し合いに参加する時代が近々やってきそうだ。


そう考えると、僕の親世代は子供の頃こそ空腹も苦労も経験したろうけれど、青春期は反体制運動でその若い血潮をたぎらせ、社会に出れば歯車の様に働くけれども目に見えて富は増して行き、そして今は子や孫の焼き肉代の面倒など余裕で見れるほどに財を築き、老後の計画は豊かで、死んだ後のことまである程度余裕を持って考えることが出来る。そんな羨ましい世代だ。


僕の両親は共働きで、それぞれの仕事に誇りを持って働いていた。とにかく忙しかった。
だから僕は子供の頃、日常的に彼らに遊んでもらったという記憶は無い。もちろん夏休みに海へ、冬休みにはスキーへ、色々と連れて行ってもらった記憶はあるが、親が居ない家で過ごす時間の方がはるかに多く、どちらかというとそういう寂しい記憶の方が鮮明だ。
そういう世代、核家族化の進行、都会への人口集中、自然の破壊、個人主義の伸長、少子化。


時代は流転する。


その当時には、思いもよらなかった未来が、突然にやってくる。


2025年。今から10年後、団塊の世代は大挙して後期高齢者へと移行する。
その時、彼らは。あるいは日本の社会は、それを受け入れることが可能なだけのキャパシティーを有しているだろうか?


とりあえず。親父にオカン。今日は焼肉旨かった。有難う。
少なくとも二人が、ボケようが何しようが、受けた分の恩だけは返すつもりしてるさかい、安心して。


たぶん、その恩は100年かかっても返せへんやろうから、170歳くらいまでは生きても大丈夫。
あ、そうなったら俺。140歳か…。それは無理やな。
まぁ。


俺が死ぬまでは保証しときますわ。



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