六鹿宿

介護保険発足直後から介護の世界で働いている僕が見たり聞いたり感じたことを綴っています。

DNAへの反抗。

全ての生物には「種の保存」というDNAが備わっているという。
つまり、全ての人間は「人類」が滅ぶことなく反映するように生命を繋いでいく為のDNAを備えているという訳だ。
それは、親が子を慈しみ育てる姿を見れば良く理解できる。


しかしこのDNAには、もう一つの顔がある。


「種の保存」の為に社会的弱者(マイノリティー)を淘汰するという顔。
それは例えば過去の日本においても「間引き」「棄老」という習慣が存在したことを思えば、なるほどと思える。
村や家族といったコミュニティーにおいて口減らしの為に、病弱な者や老いた者が殺されたり捨てられたということが事実として、あった訳である。


つまり村や家族、もっと大きく言えば国や社会の発展の為に邪魔になるであろう弱い者を淘汰、消し去って行くというプログラムも、このDNAには組み込まれているのだ。


現代における高齢者福祉等に見られる「虐待」も実はこのDNAの成せる業なのかもしれない。
「間引き」や「棄老」の因習の名残が「虐待」なのでは無いか?
「実は社会的に弱い立場の者を攻撃するというDNAを我々は持っている。」ということを、先ずは人々が自覚しなければ「虐待」を減らしていくことは難しいと僕は考える。


それを自覚した上で、人類はその英知によって「社会保障」という概念を生み出したことに思いを致さなければならない。「社会保障」は人類が「戦争」や「貧困」といった悲しみの歴史から学び、本当の意味で社会が豊かになる為には社会的弱者に手を差し伸べ、共に歩いていくことを志向する必要があると言う答えを得たことにより生まれたといえるだろう。
人間以外の全ての生物、虎やライオン、パンダや象。
それらはDNAに抗うことなく弱肉強食の自然の中で生きている。
しかし我々人類は違う。
だからこそ、戦争を放棄し、社会保障を充実させ、豊かな社会を創造していくことが人類には出来るはずなのだ。


福祉の世界で「虐待」が大きな問題となり、暗い影を落としている。
自らのDNAを自覚し、DNAに抗う術を持った人間は、いつかこの暗い影を振り払うことが出来ると僕は信じている。

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