六鹿宿

介護保険発足直後から介護の世界で働いている僕が見たり聞いたり感じたことを綴っています。

ナラティブケア

僕が、ユニットケアでリーダーとして働き始めた頃。
「ナラティブ」という言葉に出会った。
言葉の意味は「物語のある」ということ。
これに「ケア」つまり「介護」という言葉を合わせたのが「ナラティブケア」
「物語のある介護」


それまでも、漠然とお年寄りの「生活歴に根差した介護」がしたいという思いはあった。
生活歴に根差すということは、そのお年寄りのこれまでの人生を知り、その嗜好、社会や人との繋がり、更には、その方の人生観について考えてみる。
そうして認知症や身体の不自由を抱える現在を彼らはどう過ごしたいのか、どう生きたいのか?過去からその答えを導き出すということだ。


その思いを、最も端的に、最も鮮明に表してくれる言葉。
それが「ナラティブケア」だった。
「物語のある介護」つまり、その人の「人生の物語」を紡いでいくための手助けを、僕らがお手伝いするということ。


この言葉に出会った瞬間に、僕は感じた。
「これが僕の仕事のテーマだ。このテーマを仕事の中心に据えて、仕事における全ての困難な状況に立ち向かっていくこと、そうしてお年寄りと喜びを共有することこそが僕の目指すべき介護道だ。」と。


難しく考える必要は無い。
先ずはその人の人生をできる限り知る。その情報の多くはご家族から得られることが多い。
そして、今のご本人の不自由さを理解し、日常的な食事や排せつのお手伝いをさせて頂く。
そこを丁寧に丁寧に積み重ねていく。そして、ご家族とも話し合いながら信頼関係を築いた上で、
人生の物語へと、そっと働きかける。
例えば、昔得意だった編み物に、ゆっくりゆっくり時間をかけながら取り組んで頂き、マフラーを作ってもらう。そして編み上げたマフラーを曾孫さんにプレゼントしてもらう。
例えば、昔よく買い物に行かれていたコロッケ屋さんで、大好きだったコロッケを買い求め、ご家族と一緒に頬張る。
例えば、亡くなった奥さんからプレゼントされた、今は動かない腕時計を修理する為に古い時計修理の専門店まで出かける。
例えば、仲良し姉妹だった、妹さんの最期の瞬間に、お姉さんに立ち会って頂く。
例えばずっと行きたくても行けなかった、ご先祖のお墓参りに息子さんやお孫さんと一緒に行ってもらう。
例えば、もう食べることも出来ない死の間際に、大好きだった餡子を、本当に少しだけれど味わってもらう。
例えば、癌の末期で苦しい最中だったけれど、大好きだった「水戸黄門のテーマ」を吹奏楽の生演奏で聴いてもらう。
数え上げればキリがないが、そんな風にそっと働きかけて、沢山一緒に泣いたり笑ったりした。


人生最後の時間に、その人の人生の物語をもう一度紡いでもらう。
言いかえれば生きてきた人生を、今できる形で、結晶にしてもらう。


それが、僕の思う「ナラティブケア」


これから先も、この仕事を続ける限りずっと、僕のテーマであり続けるだろう。

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