六鹿宿

介護保険発足直後から介護の世界で働いている僕が見たり聞いたり感じたことを綴っています。

「思い」を共有すること。

一緒に働く同僚・仲間と思いを一つにする。
同じ方向を向く、思いのベクトルを合わせる。
チームで仕事をするうえで非常に大切なことだと思う。
しかし、チームで共に働く仲間達は、その立場も性格も思考もモチベーションも、それぞれにバラバラだ。
もっと言えば、人生観、死生観、介護観。そういう、根本的な部分もそれぞれに異なる。


うちのチームで言うと、フルタイムの職員5名(内正職員4名)、午前中戦力のパート職員2名、夕方中心のアルバイト複数名。以上の人々で10名のお年寄りの24時間をサポートしている。
他の事業所と比べても、厚い人員体制だが、最低でもこの程度のマンパワーは必要だと厚労省のお役人にも介護業界のトップ達にも声を大にして言ってやりたいが、そこは今回の本題とは違うので横に置く。


さて、その人々の思いを一つにすることは可能か?
それは…正直に言うと、難しい。
自分の同僚の仕事ぶりを見て「どうして?」「なぜ?」と疑問符で頭の中が一杯になることも多い。
例えば、お年寄りの24時間を見て生活のリズムを考えて、僕らはサービスを提供するんだよ。と、ある職員Aに話をする。しかしAは、そのことを理解できない。7時に起床されたお年寄りが、同じ場所で昼食までトイレ以外は動くことなく過ごす。ありえない。でもAにとっては、何が問題なのか解らない。そして逆に僕の意見に対して疑問符がつく。


その一つ一つの事柄については、話し合いながら解決を図っていく他は無い。


一方で、チームの理念や方針については常に語り続ける。
先のブログで述べた「適当介護」と「ナラティブケア」


思いを共有できる職員も、もちろんいる。介護観や死生観が異なっていても、お互いに認め合える存在。意見はぶつかっても、互いに着地点を見いだせる。
そういう人々が居るからこそ、僕は前を向ける。思いを共有できない同僚も、何とか引っ張っていこうと頑張れる。
チームの中には色々な人が居るわけで、それは当たり前だし、落ち込むこともある。
だからこそ、一人で落ち込まずに、思いを一つに出来る人々の力を借りる。
そうやって、チームを前進させることが「思い」を共有することに繋がって行くのだろう。



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