六鹿宿

介護保険発足直後から介護の世界で働いている僕が見たり聞いたり感じたことを綴っています。

学習性無力感。

学習性無力感という言葉がある。
これは「頑張ってやっても無駄であることを学ぶ」「頑張るだけ馬鹿らしいことを知る」という意味だ。


何とも悲しいことだが、介護の現場で多くの介護職が、こういう心理状況に陥る現状がある。


それは介護業界の離職率の高さにも繋がっているし、この先の超高齢社会に暗い影を落としている。
どういうことか…。
介護業界においても様々な現場がある。もちろん高い意識を持って、お年寄りのケアに取り組んでいる事業所も多い。だがしかし、これも少なくない数の現場において「学習性無力感」が蔓延しているという現実も存在する。
介護報酬が、各事業所に支払われることで、それら事業所の運営は賄われているわけだが、この基本報酬の部分においては手抜きの介護をやろうが、真剣に介護に取り組もうが大きくは変わらないという現実がある。実地指導若しくは監査という名の行政の監視力は働くが、それらは全て記録から、それぞれの事業所の状況把握に努めることが中心で、単純に言うと記録さえしっかり書いておけば、日々のケアが無茶苦茶であったとしても何ら問題は無く、介護報酬は支払われ続けるわけだ。
話が複雑なので、例え話で説明すると。
ある国の王様が、二人の大臣に国が豊かになるようにと、仕事を任せる。
A大臣は、大変真面目で国が反映するように汗水を垂らしながら仕事に精を出す。
しかしB大臣は怠け者。仕事の手は抜くし、できる限り自分に利益が回って来るように、悪人であろうとも手を組みながら「A大臣は馬鹿だなぁ」と蔑みながら仕事をする。
実は王様も意外と怠け者。いろんなルールを作ってはみたけれど、日々の二人の大臣の仕事ぶりには見向きもしない。そして時々言う。「どうや。二人とも、ちゃんと仕事をしておるか?」と。
そして二人の大臣に、日々の仕事ぶりをレポートさせ、それを提出させる。
「ふむふむ、二人とも頑張っておるな。引き続き頑張れよ」とレポートを読んで王様は言う。
二人の働きぶりが例え真逆であったとしても、王様はレポートしか見ない。
レポートに美辞麗句が並んでさえいれば、それで王様は満足で、それ以上は口出しをしたりはしない。
そして、それぞれの大臣に同額の報酬が支払われる。


しかし、ここで大きな問題が発生する。A大臣の部下たちは一生懸命に働く彼の姿を見て「よし、この人について行って頑張ろう」と国の為に頑張る。
ところがB大臣の部下たちは…志を持って、国を豊かにするために頑張ろうとしている者でさえ「なんだ…頑張ったって意味ないやん。」「頑張るだけ無駄やん」と学習性無力感に打ちのめされるしかなくなるのである。
そうして、一生懸命に頑張ったA大臣でさえ力尽き、この国は滅びてしまう。


滅びるというと大げさなようだが、事実、介護現場の崩壊は始まっており、利益追求思考、職業倫理欠落、事なかれ主義、現場軽視が横行する事業所が数多く存在しているのだ。
今となっては昔のはなしだが「コムスン事件」はその象徴的な出来事だった。
あの事件以後、行政側は色々と手を打とうとしたようだが、根本的な記録偏重主義を続ける限り、この現実に大きな変化が見られることは無いだろう。
もちろん、そういった悪質な事業所では無くとも、人手不足や管理職の能力の無さから学習性無力感がはびこる現場が生まれることも事実だ。崇高な理念だけ掲げて現場の窮状を救おうとしない管理職のおかげで、介護職が無気力になったりバーンアウトしてしまった例を僕は沢山知っている。


そうして介護の現場を「学習性無力感」つまり「あきらめ」が蝕んでいく。


僕は、自分の働く現場においては、学習性無力感が生まれることのないように、その芽を摘んでいく努力を続けてきたし、それはこれからも続けて行く。


あきらめるな。絶対にあきらめるな。
お年寄りに、本当の意味で「その人らしく」生きてもらうことを。
僕らが、それを担うということを。
熱くそれを感じることのできる人々に言いたい。手を繋ごう。そして助け合おう。
さぁ、明日からも、これから先ずっと、僕は声を枯らしながら、それを訴え続けて行く。


あきらめるな!絶対にあきらめるな!

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