六鹿宿

介護保険発足直後から介護の世界で働いている僕が見たり聞いたり感じたことを綴っています。

年をとることについて。

老いるということは、どういうことか。
昔、お釈迦様は生老病死を四苦とし、生まれて老い、病んで、死ぬ。それらを苦しいことだと仰った。
人間は、病を得ることも、死ぬことも恐れる。できるだけ避けたがる。
生きることも、苦悩を伴うものだろう。


では、老いることは?


子供の頃、早く大人になりたいと常々思っていた。
力が強く、経済力もあり、何より自由がある。
僕は子供の頃、確かに早く年をとりたかったのだ。


20代の頃も、別に年を重ねることに大きな不安は無かった。色々な経験を重ねながら、自分というものを確立していった時代だった。


そしていま30代の最後の時期。


思っていたほどに、中年というのも悪くない。


酒も弱くなったし、風邪もひきやすくなった。けれど、日々は楽しいし20代の頃のばか騒ぎの時代に戻りたいとも思わない。


きっとこの先、40代には40代の、50代には50代の楽しみが待っているような気もする。


少なくとも、今までの人生で老いることを苦だと思ったためしが無い。


では、80代や90代になれば、どう感じるのだろう。
今の僕には想像の付かない様な老いの苦しみがそこには待っているのだろうか?
死により近く、病も得やすい。そういう存在になった時に、本当の意味で老いへの恐怖を感じるのかも知れない。


けれど、彼らには家族が居る。彼らの人生を引き継いでくれる家族が。
もちろん孤独な人だって居るが、誰とも関わることなく生きてきた人など、この世にはいない。
家族が居れば、その人たちが、そういう存在が居ない場合には、人生で深く関わってきた人々が、彼らの紡いできた人生を継承してくれる。


そんな風に考えると。老いながら新しい未来の扉を開いていくことは、むしろ楽しいことのような気がするのだ。


僕は幼いころに心臓の病で死にかけたことがある。4歳の頃に手術をした。
手術をしなければ、おそらく10歳ちょっとで死ぬだろうと言われていた。手術の成功率は3分の1。
僕の両親は、その確率に悩みながらも手術を選択してくれた。
そうして何とか生き延びて、今、この世に僕は居る。
40年近く生きることができた。


そういうことがあったからかも知れないが、とにかく年を重ねることに人一倍、感謝の思いが強い。


あと何年、自分は生きることができるのだろう?それは分からないが、目の前の90や100歳のお年寄りを見て「すっごい元気やなぁ」と驚かされることも少なくない。
100年生きたら100年生きた分のご褒美があるんやなぁと、彼らを見ていて思う。
医学の進歩や、超高齢社会など、いろんな問題はあるけれど、やっぱり「老いる」って素晴らしいと思える瞬間を彼らは僕に与えてくれる。
沢山の年を重ねながら、これからも福祉の世界で僕は頑張っていきたいと思う。


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