六鹿宿

介護保険発足直後から介護の世界で働いている僕が見たり聞いたり感じたことを綴っています。

高福祉、高負担。日本にはそういう土壌が無い。

この国の目指すところは、どこなのだろう?
資本主義経済の行きつく先は、一握りの強者と大多数の弱者を二分する社会。
つまるところ、社会的弱者に対しては限りなく冷たい社会。


ということは…。
高福祉などは、だれも望まない。そういうことなのだろう。
老後も安心したければ、金を稼ぐしかない。そういうことなのか?


「高福祉は、経済発展の足枷となる。」そういう意味のことを、現与党の政治家の先生が言われていたことを思い出す。

ところが、そんな日本に「介護保険」が誕生する。

介護は家庭の問題であるとされていた1990年代。
寝たきりの老人が、老人病院のベッドで、ベッド柵に囲まれたり、腕を縛られたりしていた時代。
認知症が痴呆と呼ばれ、そういう年寄りの居る家庭には嫁が来ない。一度、そういう家庭に入った主婦には悲惨な介護地獄が待っているとされた時代。
草の根的な「寝たきり老人ゼロ運動」そして行政の側からも「ゴールドプラン」が誕生し、経済発展重視であるはずの日本においても高福祉の潮流が生まれ始める。
そして、1997年「介護保険法」が成立。家庭に閉じ込められていた「介護労働」が、社会的な問題だと捉えられ、皆でこれを支えるべきだという考えのもと2000年に「介護保険」がスタートする。


しかし、その後15年を経て何が起こったか?
お年寄りから徴収する介護保険料は、跳ね上がる一方、介護事業者に支払われる介護報酬は減らされる。
そして、食費やホテルコストの徴収。要介護度毎の区分支給限度額などお年寄りの負担は更に増え…
今年度の改正では、利用者負担が2割になるお年寄りが出たり、食費やホテルコストの徴収減免が解除される人が出たり…。極めつけは介護の社会化とは全く逆行する予防給付における訪問介護、通所介護を「地域支援事業」に移行するという「予防給付」の見直しが行われたり。
これはつまるところ、要支援者の訪問介護と通所介護を介護保険から外して、市町村の担う「地域支援事業」に移行するということ。要するに、それらのサービスが市町村の財政状況によっては「ごめ~んお金無いし、あきらめて~」って言われるかもしれないということだ。
保険料払ってるんですよ?少ない年金から天引きされる人が大半。それなのに、必要なサービスが市町村の財政状況によっては受けられなくなる。これは、どう考えてもおかしい。
介護保険の理念であった「介護の社会化」
これを無視して「やっぱ介護は家庭でやっとけや」って。そういうこと言うてるのと同じ。


あぁ。この国の福祉はどこへ向かうのか…。現場の人間としても悩んでしまいます。
さぁ、さてさて。明日も仕事。お年寄りが待ってます。
とりあえず、悩みは尽きませんが眠ろうと思います。
ではでは。


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