六鹿宿

介護保険発足直後から介護の世界で働いている僕が見たり聞いたり感じたことを綴っています。

お婆さんのくれた名前。

「伊田 六鹿」というペンネームを使って僕は文章を書いている。
この名前は2人のお婆さんがくれた名前だ。
「伊田」をくれたのはロングヘアーで細身の、笑うと下の歯一本が見える可愛いAさん。
「伊田さん、あなた綺麗な顔してるわね~」といつも言って下さるAさん。
僕の本名には「伊」も「田」も全くもって付かない。
けれど彼女にとって僕は「伊田さん」だった。
従来型特養で働いていた頃のお話だ。
水分摂取があまり好きでは無く、拒否的だったAさん。若干、脱水もあったかもしれない。
せん妄による幻覚なのか幻聴なのか?
よく「ヒットラーさん」や「聖徳太子様」とお話をされていた。
現実には存在しない彼らとの交信に集中されている時には、僕たち職員を全く寄せ付けない表情をされる。
それでも現実世界に戻ってこられた時のAさんは、本当に、本当に素敵な笑顔を僕らに向けて下さった。


「六鹿」をくれたのは多くの疾病を抱えるしんどい体なのに、職員への気遣いは人一倍というBさん。
お風呂が大好きで、入浴介助に入ると必ず「六鹿温泉、ええ湯です~」と言って下さるBさん。
僕の本名には「六」も「鹿」も全くもって付かない。
けれど彼女にとって僕は「六鹿さん」だった。
現在働いているユニット型特養でのお話だ。
とにかくお風呂が大好き。けれど疾病の為に主治医より「長湯禁」「浴槽内温度も40度まで」という制限を受けていた。
それでもお風呂に入ると「私は本当に幸せです」と繰り返し言って下さるBさん。本当に、本当に彼女の笑顔も素敵だ。


さて、これって何の話なのか?
認知症を抱えるお年寄りは、特に短期的な記憶を失うことが多い。
僕が本名を名乗り、自己紹介をし、それを何度も何度も繰り返しはしたが彼女達は僕の本名を憶えてはくれない。
つまり彼女達の記憶の中に僕の本名は残らなかったわけだ。
しかし、毎日生活を共にする中で「僕」という存在については徐々に記憶が蓄積していく。
「知らない人」から「何だか知っているような気がする人」「前に会ったことがある人?」「最近、私の身辺をチョロチョロする人」「あぁ、いつものお兄さん」と段階的に馴染みの関係が、ゆっくり、ゆっくりと形成されていくのだ。
そして、名無しではまずい。だって知ってるお兄さんなんだから…。どうしようかしら?
そこで記憶の断片の中にある言葉を用いて、とりあえず命名を、するわけだ。
「伊田さん」
「六鹿さん」


そしてそれが定着し、本名では無いにせよ、それらの名前で彼女等は僕を呼んでくれるようになる。
正直に言うと、不思議な気分ではある。
でも、僕という存在を認識し必要としてもらえている。そういう感覚があって嬉しくもある。
そして、そんな彼女等を僕はすごく好きだ。


だからこのペンネームを用いて文章を綴っている。
このペンネームに誇りをもってこれからも書きたいこと、聞いてほしいことを綴っていこうと思う。

介護って。そんなものは。

僕が若かったころ。
確か、主演はジャニーズ事務所所属のアイドルだったと思う。「芸能人は歯が命」ってCMが巷に流れていたころ、彼の笑顔の隅で光る白い歯が異様に眩しかったのを覚えている。
「ナースマン」というドラマが放映されていた。どこの局だったかは覚えていない。


男性の看護師が奮闘するコメディータッチのドラマ。

正直に言うと、その頃の僕には男性が看護職をするということ自体が理解できなかった。
看護なんてものは、男のする仕事では無いと感じていたのだ。


同じような理由で、介護職をしている男性。そんなものは軟弱な人間でしかなく、ほかに適当な仕事を見つけることが出来なかった男の流れ着く職場が介護業界だと思っていた。

そんな僕が、数年後には介護職の仲間入り。
資本主義社会の荒波に飲まれて、癒しを求めていた僕の目の前に現れた介護という職場。すがるような思いで飛び込んでみたが…。
最初は、周りの友人に「老人ホームで働いている」ということを伝えることすら恥ずかしかった。


そんな僕だからこそ、敢えて言おう。


介護の職場は、男だろうが女だろうが一生を捧げ、本気でぶつかっていくに足りる、崇高な場所だ。
プロ意識を持って、取り組めばそこでしか得られないもの。充実感、社会的有用感、人生的達観、様々なものを得ることができる。


介護の仕事の魅力は?って聞かれれば、僕は即座にこう答える。
「お年寄りや、そのご家族に感謝してもらえる。そして人の役に立てているという充実感がある。」という良くありがちな答えでは無い。
「お年寄りと人生の最期の時を共に過ごすことで、その人生の物語に触れることが出来る。その物語に触れることで、自分の生まれた意味や、自分の周囲の人々と繋がっていることの大切さや尊さを本当の意味で知ることが出来る。」だから、この仕事は魅力に溢れ、自分の人生観を変えてしまうほどの力を持っているのだと。
僕たちは、自分や自分の親が老いて、いずれ死んで行くことを知っている。
でも、それはリアルにでは無い。
頭の中では分かっていても、どこか遠い先の未来のようで朧げだ。


だが、この仕事は「人の死」に大変近い。しかも90年や100年の時を生きた「人の死」
そこには人生の物語が溢れている。
そこに触れることのできる感覚。これは実際にこの仕事をしてみなければ分からない。
さぁ、あなたも。介護の扉を叩いてみませんか?
トントントン、もしくはもう少し力強くドンドンドン!って。

ユニットケアは持続可能か?

僕は現在、小規模特養で働いている。
10床ワンユニットで2つのユニットがあり定員が20名。
従来型の大規模特養のサテライト施設として2008年に立ち上げた。
介護業界に入って、まずはショートステイで新人時代を過ごし、そして従来型の大規模特養へ異動。そして小規模特養開設に伴いオープニングスタッフに選抜され、立上げの時から現在の職場で働き続けている。
入職してから、いつもいつも「これからの施設ケアはユニットケアだよ」と聞かされ続け、ショート時代でも小グループ化(50名のお年寄り3つのグループに分けてケア)を推進。従来型特養でも介護単位を小さく分けて、それぞれに専属の職員を配置するユニットケアの前身的な取り組みを行っていた。
そして2008年。新しくユニットケアを標榜する全室個室の新型特養を開設。
従来型みたいに長い廊下は存在せず、中央に食事をするリビングを配して、そこをお年寄りの居室がグルッと囲む形の施設。

このころが一番、夢にあふれていたなぁ
だって、働き始めてから、ずっと言われ続けるん。「ユニットケアこそがお年寄り一人一人に寄り添える、個別のケアを追求できる最良の形」だって。
だから「本気でやりたいケアを追求できる!笑顔の溢れる施設を作るぞ!」って意気込んでいたわけ。
でも、そんなに甘いものでは無かった。

確かに従来型と比べて、個々のお年寄りと過ごす時間は増える。10人しかお年寄りがおられないのだから、それはそうだ。空間的にも小さい訳だから、半径10m以内の範囲で食事も排泄も、入浴だって
完結することが出来るので、導線的な無駄も少ない。

個室だからプライバシーの確保も容易で、ご家族の面会も従来型と比べて数倍多い。
ユニットケアのメリットは沢山ある。


けれど、それを全て帳消しにしてしまうデメリットが存在する。
それは「人」…つまり「職員」だ。


ユニットケアにおいては従来型とは比較にならなくらい「職員が一人で判断しなければならない場面」に遭遇する。
従来型はお年寄りの人数も多い分、職員が複数で対応する場面が多い。(例えば50名のお年寄りに対して5人で対応。)しかしユニットケアは少数のお年寄り(僕の施設で言えば10名)に対して、たった一人で対応しなければならない場面が多いということだ。
だから、職員全員がユニットケアの本質をしっかりと理解し、個別ケアを追求できるだけの力量を持ち合わせているならばユニットケアは間違いなく、お年寄りに施設における最良のケアを提供することができると断定的に言える。しかしどこの事業所でも、そうだと思うが職員個々には、それぞれの置かれた立場やモチベーション、それに介護技術においても大きな「差」があるのだ。
だから職員Aの出勤日は、素晴らしいケア提供ができるが職員Bの出勤日はボロボロってなことが実際に起きる。特に夜勤はそれが最も甚だしい、夜の22時から朝の7時までの時間帯、職員は完全に一人になるからだ。
それに、介護業界の人材不足が言われ始めてから久しい。
そうなるとやはりユニットケアは持続不可能なんじゃない?と思う訳。
だって、人手不足ってことは崇高な理念を持ってケアに取り組むことのできる職員ばかり集めることが不可能ってことでしょ?普通のおっちゃんとかおばちゃんが介護を担わなければならない時代が来てるってこと。普通のおっちゃん、おばちゃんでも介護ができる環境って、要はお互いに相談しあって何とかつなぐことのできる従来型施設の方でしょ?


想像してみてください。認知症のお年寄り10名がいらっしゃるフロアにあなたは、ただ一人です。
立ちあがれば確実に転倒するのに突然立ち上がる人。トイレに行って5分も経たないうちに「トイレ連れて~」と訴える人。食事を食べ終えて間もなく「飯食わせ!」と怒鳴り始める人。
突然ののど詰めや嘔吐、多量の出血…普通に起こります。
そんな場面を一人でなんとかしなければならないわけです。それがユニットケア。
そんな場面でも、複数の職員で補いあえる状況にあるのが、従来型の大規模施設。


進むべき方向性ははっきりしてると思いますけどね。



ただ、もう一つ言いたいことは「ユニットケア」にも大きなメリットがあるということです。
適切な職員数を配置できるのであれば、絶対にユニットケアの方が良い。
一人ぼっちで抱え込む時間を極力排することができるだけの職員配置。それを実現できるのが一番だとは思うんだけどね。そうすると財源が…って話になるよね。難しいですね。


特養入所待機者数50万って言われてるけど、施設から在宅へって流れは変わりそうもないので、その辺も含めて施設ケアは衰退の道を辿るのだろうか?
まぁそんな中でも頑張っちゃうけどね! ではでは。