六鹿宿

介護保険発足直後から介護の世界で働いている僕が見たり聞いたり感じたことを綴っています。

やめられない止まらない。

西日本を襲った豪雨。考えられないほどの雨が降り注ぎ、大地を削りながら命を奪っていった。間違いなく行き過ぎた人類の経済活動が地球を犯した所産である。


けれど、やめられない止まらない。


肥大化することを正義だとし資本主義的な限界には目を背けて、まだ日本は大丈夫だ、美しいと煽る現政権。


そうして、それに乗っかって儲ける資本家と、それに隷属する大衆。
誰もが、このままでは地球が滅びることを知っているのに、やめられないし、止められない。


そういう自分だって、エアコンも車も酒もタバコも無ければ生きてはいけないのだから、もう、ドウシヨウモナイ。


共に滅びに向かって、歩もうではないか。もはや、地球は壊され過ぎて命を育む力を永遠に失いつつある。もはや誰もやめられないし、誰にも止めることができない。
せめて、恨むことなく僕らは旅立つべきだ。この死は、地球を損ない蝕んだ己が招いた結果に他ならないのだと、自業自得だと首背しながら。さらば、愛しき人類。

侍魂

昨日の試合を見て悲しくなった。
フェアプレーとは程遠い試合をしていながらフェアプレーポイントで、アフリカ勢を抜いてトーナメント進出だなんて。


多くの人々が侍たちの躍進を信じてはいなかった。でも僕はサッカーが好きだから、弱くても頑張る侍たちの勝利を信じて応援した。どんなに強い相手にだって、勝つことが不可能では無いのがサッカーだから。


そして確実に、彼らは奇跡を起こしながら戦いを続けた。その姿は本当に美しかった。ピッチに立つ彼らの姿は、まるで草原を駆け抜ける青い雷鳴のようだった。


しかし昨日の試合はどうだ?草原に吹く風は無く、草木はそよぎもしなかった。
勝つために、というか負けたのだけれど、トーナメントに進むためなら何でも有りなのか?


何が何でも勝ちに行く、点をとりに行く。逆境を跳ね返す風を吹かせる。それが侍の魂ではないのか?


もちろん誰が、悪い訳でも無いけれど残念で仕方が無い。
侍魂を貫くならば、彼らは一位通過を目指して全力で走り、ボールを蹴ってゴールに向かうべきだった。


そして、魂を捨てた侍は…赤い悪魔に翻弄される。よしんば赤い悪魔を倒したところで次に控えるのは南米最強のカナリア軍団。もはや勝てる気がしない。


いや、それでも信じよう。


失敗や気の迷いは、どんな高潔な人間にだってある。きっと彼らが一番、不本意な戦い方をしたことを自覚しているはずだから。だから彼らは、侍魂を取り戻すことが絶対に出来る。そうして侍たちが途方もなく強い相手に立ち向かっていく姿を、やはり応援せずにはいられない。


青い雷鳴を草原に再び。僕は信じている。

蚤の詩

ぴょんと飛んでみた。
ぴょん、ぴょんと飛んでみた。
行きつく先が何処なのかを僕は知らないけれど。


何故、飛んだのか?飛ぶ必要があったのか?
何を目指して飛んだのか?本能のままに飛んだのか?僕には、それすらも分からない。


だけど僕は、ぴょんと飛んだ。思い切り良く、ぴょん、と。
ほんの数センチ先に着地したのか、地球の裏側まで飛んで行ったのか、知らない場所に、僕は辿り着いた。
見上げると頭上に、巨大な指が待っていて、僕を挟みつけて殺した。プチっ。