六鹿宿

介護保険発足直後から介護の世界で働いている僕が見たり聞いたり感じたことを綴っています。

大学を出てはみたけれど…

僕は関西にある二流、いや、三流の私立大学を卒業した。
一応、法学部だったがそっち系の仕事には全く興味がわかず、旅行好きだったこともあって大阪の中堅旅行会社に就職。営業でバリバリと働いた。
営業と言っても、自分のお客様に対する添乗も主要な業務の一つで、ほとんどは国内だったけれど結構色々な場所に行けて、それはそれで楽しかった。
だが、営業の悲哀は他の所に存在した。
「こんだけ客送ったるさかい、こんだけの予算で泊まらせえや」「あほ。ほんなら自分とこだけで客呼んでみてみ!」
まるでヤクザの世界。宿や交通機関を買い叩く仕事…嫌になって辞めた。
その後も他の旅行会社や怪しげな電気椅子を年寄りに売りつける仕事なんかを転々とした。スーパーで牛乳を売っていたこともある。
牛乳を売っていた頃、おり悪く雪印の食中毒事件が発生。例の黄色ブドウ球菌。
大量の牛乳を廃棄する気持ち…。分からなでしょう?
やっぱり悲しかった。
それで結局嫌になって辞めた。
そして、僕には一生を捧げられる仕事を見つける必要があると一念発起する。
いよいよ介護の世界に足を踏み入れていくことになるのだ。
運命の導きか…それとも悪戯か…
その時には介護保険は見切り発車されていた。

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